一章 日本人の原点

 

 外国人愛刀家は、KATANAをサムライのものだけと考えているだろうか。いや、日本刀こそ日本の伝統文化の象徴とみなしている。先に挙げた3要素、「機能」「精神」「美」のうち機能はサムライのものだが、精神と美は日本人に共通するからだ。この精神と美を重ね、神聖さと呼んでもよいだろう。

 

 文政6年(1822年)に『刀劍性教録』が出版されている。オランダの医師シーボルトが来日した年だ。当時、刀の鑑賞会が盛んに行われていたことがわかる。参加者はサムライだけでない。町民、農民らあらゆる階層が参加している。

なぜなら刀の前では貴賎貧富は関係ないからである。この著者・岡崎信實は「刀の前では二品なし」と書いている。二品はない、要するに一品だということである。現代訳で言えば「刀の前では皆、平等」となる。士農工商という身分制度も刀の前では平等であった。刀剣の原点は日本人の原点であるとも言っている。

 

士農工商の誰もが刀剣を日本人の原点と感じているわけは何であろう。

日本の歴史にサムライが誕生する前の平安時代、朝廷の中で鎮魂祭り「オホムタマフリ」と呼ばれた儀式が冬至に近い日、天皇皇后両陛下に向けて行われていた。

 この儀式とは、領巾(ひれ)に十種の瑞宝(ずいほう)と呼ばれるものを揺らし、生命力を高めるというものである。冬至は太陽の力が衰えると考えられていたからである。

十種の瑞宝(ずいほう)とは領巾(ひれ)、玉、鏡、剣である。古代の日本人は<揺らす>という行為に、生命力が移動してきて自分と同化すると考えていた。病気を治したり、ときには死者も甦らすという言い伝えがあった。※領巾(天女の襟巻きみたいなひらひらする薄絹)

オホムタマフリは、この国が生命力溢れた清明な国でありますようにと祈った儀式だ。

 

ここで少し補足しておこう。

古墳時代、奈良時代、平安時代の剣はまっすぐな直刀であり、日本刀のような灣刀になったのは平安末期、鎌倉時代以降である。これらの総称として「刀剣」と呼ぶ。日本刀と呼ぶのは灣刀以降の刀のことだ。

さらに言えば、源平のサムライが腰に吊るしていたのは「太刀」(たち)。戦国時代になって刃を上にして腰にさしたのが「内ち刀」(うちがたな)。もう一言。太刀は漢字ではない国字、つまり和製漢字である。日本オリジナルなものゆえ当てはまる漢字はなかった。おわかりだろう。ゆえに、この太刀から内ち刀までを通称「日本刀」と呼ぶ。

 

「領巾」にも一言。この領巾は後年、女性の着物の袂に、いくさ旗になった。源平の兵士が白い旗、赤い旗を揺らし戦ったわけはこれだ。五月の節句の鯉のぼりの吹き流しも領巾の変形として残っている。神主がお払いをする動作も領巾を揺らすことからきている。

 

いまでも死者を送る護り刀(守り刀)としてお棺の上に短刀が置かれる。これは古墳時代からの習わしの継続である。剣は古墳時代から生命力の象徴であった。発掘された古墳の死者の脇に剣が置かれている。死者を再生させる霊力を持っていると信じられたからだ。が後年、死者をあの世で守る剣となった。

現代では葬儀屋の模擬刀である。若きサムライたちよ、父や母、愛しい人のため真剣の短刀を一振り持っておく心構えを持て。

 

 

<予告> 二章 火と水で禊(みそぎ)し、神となる

長船などの有名な刀工のものでも国宝もあれば、一つランク下の重要文化財もある。また、それらにも引っかからない刀もある。同じ名工にこんな差があるのかなと不思議だ。

なぜか。それは日本刀は火の中をくぐるからだ。人工物でありながら自然現象を通ったとものでないと神々しさが生まれないと我々祖先は考えていた。