四章 他国の剣にない日本刀だけの研磨(けんま)
外国の博物館に飾られている剣は、大抵、2本をクロスさせ壁にかけてある。日本の博物館での日本刀展示の場合、ケース内にライティングがほどこされている。刃文、地鉄を見るためである。ここに外国の剣と日本刀との違いがある。ただ研ぐのではない研磨にある。研磨とは何か。
鍛錬の項が長くなつた。研磨は1回で完結させようと思っているので、肝心な点だけを述べる。(1回の文章をWoed2P分を目安とする)
他国の剣のように刃だけを研ぐのではない。刀身全体を研いで磨くのだ。日本の伝統的道具の鑿(のみ)、鉋(かんな)、包丁でも刃の部分しか研がれないが、日本刀は中心(なかご)を除いて刀身全体を研磨する。それもただ装飾として鏡面にすることではない。すべての研ぎ師が志すことは「晴れた研ぎ」である。清水を透して底の玉砂利が見えるかのように中まで透けて見えなければいけない。清明さを磨き出すのが研磨である。なぜならば、日本刀は武器であると同時に神であらねばならぬからだ。神になるために神秘的な美しさをもたなければならない。
鎌倉武士が誕生した12世紀初頭には、すでに研磨のための研ぎ師が現れていた。日本刀は、生まれながらして武士の魂であった。ここを抑えておかないと鎌倉武士からの大東亜戦争のサムライたちの戦(いく)さ場での日本刀を持ってしての闘い方は理解できない。これは追々述べていく。
1回分の紙面が許すかぎり研磨の作業工程を述べる。
研ぎには「下地研ぎ」と「仕上げ研ぎ」の二段階がある。研ぎ方、道具、砥石の種類などの前に肝心な作法を述べておこう。それは正しい構え。研ぐときの姿勢だ。これが崩れたら研磨ではない。武道でいえば構えの基本形である。
腕力でなく、身体全体を使って研ぐ。右左膝が支点になり体は振り子のように前後に自然に動かせるためだ。これが定規でなくして理想的な肉置き(ししおき)をつくり、長時間の作業に耐えられる姿勢である。押すとき力をいれ引くときは抜く。 ※肉置き=にくづき
下地研ぎは姿形を整える工程だ。道具は一見すればたわいないものだが、先達の叡智が詰まっている。たとえば坐る台、「床机」と呼ぶ。腰掛けるものではない。そのための「踏まえ木」「爪木」がある。尻が浮く状態で右方は床机から外れるのが理想とされ、修行中の者は床机と尻の間に卵を置く。その様子は鳥が木に止まっているように見えるとさえ言える。万が一、研面に異常事態が出たとき、すぐに停止できる姿勢なのだ。武道をやっている者ならわかろう。「いつかない」ことである。
道具の配置も妙だ。砥石の交換などの動きが連続動作として流れ、長時間でも安定した研ぎができるようになっている。
さて、砥石である。荒い砥石から細かい砥石へと6種類の砥石を使う。伊予砥(いよど)備水砥(びんすいど)改正砥(かいせいど)名倉砥(なぐらど)細名倉砥(こまなぐらど)内曇砥(うちぐもりど)。それぞれに精緻をきわめる役割がある。それは姿形を整えると同時に地鉄の特性を引き出すのである。
最後の内曇砥は刃砥との地砥の2種類があり、いままでと違い引く力を主とする。 最後に切先の部分を刃砥で研ぎ下地研ぎは完了する。
次は仕上げ研ぎである。下地研ぎで表れた地鉄を美しくし、地刃の色調を整える。工程も下刃艶、地艶、拭い、刃取り、磨き、ナメルに分かれる。下地研ぎは砥石を換えての工程であったが、仕上げ研ぎは道具も作業も工程ごとに違う。これを簡潔に述べても1回では終わらないから割愛するのだが、昔から秘伝や口伝で伝えられてきた高度な技術である。文筆では尽くせないからでもある。
最後に肝心なことを述べておこう。研ぎ師は刀匠の脇役的存在と思われがちだが、鍛錬と研磨がセットされてはじめて日本刀となるのである。清明で神々しい神器となるのだ。ゆえに研磨も神事である。
刀工の鍛冶場に注連縄が張られた神棚がある。注連縄とは神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄である。研ぎ師の仕事場にも同じく注連縄が張られた神棚がある。
水で流して砥石を当て、新しい清らかな面をだす禊(みそぎ)であるからだ。それが研ぎも神事なのだ。しかし、戦後になり、それが忘れられてきたのは寂しいかぎりだ。
以上で鍛錬、研磨を述べた。しかし、サムライが腰にさす一口(いっこう)の日本刀が出来上がるまでには、鞘師(さやし)、塗師(ぬりし)、柄巻師(つかまきし)、彫金師(ちょうきんし)などの技術もなくてはならない。次回ではこれらを総じて1回で述べよう。