第三十六話
平成二十九年 九月六日
1946年のGHQへ、一太刀浴びせてみませんか
杉山頴男事務所の確定申告も先月、済ませた。そんなことはどうでもいい。
19期目であった。つまり小柄工房も19年目ではないかと思ったからだ。
きのう“発刊”の「武道通信かわら版」、拙者の稿の末尾にこう記した。
《某大学の獣医学部設立に云々している暇があったら全国高校に刀工学部設立を急ぐべし。》
19年前、日本武道具のあるじ(主)から小柄を自分で作れる教室を作った。参加しませんかとの知らせ。飛んでいった。池袋西口、丸井の前に集合。車で足立区にある刀鍛冶(刀工)の元へ。小柄工房第一期生となる。
白鞘に収まっている美しい綾杉肌の15センチ以下の片面が鑢{やすり}目の小柄が、19年間、拙者に手許に収まっている。
15センチ以上で両面を砥いであると短刀となり、素人はつくれない。この法は長島茂雄が巨人に入団したとき作られた。この法の嚆矢、起りはGHQの銃砲等所持禁止令。1946年のポツダム政令の一つ。日本軍の武装解除。
拳銃立国のUSAがリーチを入れても“射程距離”2メートルそこそこの日本刀を恐れるわけがない。日本からSAMURAIを“解体”するのが目的だった。日本刀など、もともとこの国にはなかったと洗脳したかった。日本刀が日本兵の心棒を強くしたことをよ~く知っていた。
GHQさんも気づくめえ~。お江戸でズブの素人が、日本刀を買えるほど金回りがよくない者が、自分の銘が入った[日本刀]をつくれるんだ。ザマ~みろ!