第三十八話

平成二十九年 十二月八日

 

「骨太」「骨身を惜しまず」

 

拙者の花押「武」の筆運びは、東郷平八郎元帥自筆の「武医同術」の「武」のパクリだ。

武術と医術はセットである。読んで字の如し。出血止め、傷口の縫い合わせは戦国武士の必須科目。

文明開化の明治の世では「健全な身体にこそ軍人精神は宿る」。元帥の<健康勅諭>となる。

 

医学の進歩でいつしか「武医同術」も死語となる。しかし、八十年前の子、戦前の子が「からだ」の漢字を覚えるとき、まず「骨」をイメージした。

「体」の旧字体は「體」。体の中心は骨だと知った。青年になり弓道をやって弓は「骨で引く」との意味がストンと腹に落ちる。

 いまの世の子は「カラダ」。骨は消え失せた。身長、体重 スリーサイズの姿見だけが見える。[]を喪失した。

 

骨太/骨無し/骨張る/骨に刻む/骨身にこたえる/骨身に沁しみる

骨身を惜しまない/骨身を削る/骨休め/骨を抜く……

 これらの[骨]はどこへ行ったのか。

いまの世の老人はサプリメント、セサミンのCMに夢中。「骨を拾う」ことを忘れなければよいが。

 

日本刀の[骨]とは何だろう。

古刀、新刀、新々刀、現代刀。研石に当ててみるとわかると云う。

研石の当たりが手に伝わりわかる。古刀が最良だとも云うが、古刀の鍛錬法はいまだ謎だ。

 しかし、骨身を惜しまず、古刀の再現挑む刀工が数多くいる。「日本刀をみれは、この国のかたちが見える」。ならば日本の[骨]は残っている。