<一話>
前口上にかえて
平成二十六年九月五日 up
Face book「武女」をはじめたのが昨年の2月。
その3ヵ月後に「杉山頴男」も。二つとも二人の若者に唆{そそのか}された(笑)。
唆された理由はまあよい。ともかくも拙者、納得してはじめたのだから。
唆される前まではTwitterやFace bookとは無縁だと決めていた。
「一億、総評論家」と苦虫を噛みつぶしていた。また新参者奴とも(笑)
なにせ16年前、稼業でホームページを立ち上げた。いまで云う電子書籍化もし、注文メールにはパスワードを送信する
CGIプログラミングや新ソフトに馴れるまでの苦労。理系とは縁遠い傘貼り浪人には本業以上に悪戦苦闘だった(笑)
実は、新しいモノはもうイイとの年寄り根性も(笑)
さて、これまでが「起承転結」で云うなら「起」
いままでの数行で(笑)を4回使った。同じ(笑)でもニュアンスが違う。イマドキのワカイモンの「顔文字」に苦虫を噛みつぶしていたが、
文語でも<笑う・咲う・嗤う>とある。文字制限で顔絵を使うわけがあった。流行るものには必ず理由がある。
これが「承」
つぎに「転」
道具が変われば伝え方も変わる。これは武器が変われば戦術が変わると同じ。古今東西、昔からの人の世だ。
湾刀の日本刀に変わったのは馬上の戦いからとの通説。戦法が先で武器が変わったと。これは間違い。湾刀(道具)に変わったから戦術が変わった。
いまはじめている杉山頴男Net私塾<其ノ二>
《サムライ本→読書私論》。http://p.tl/fy2P
「武士とは何者であったか?」の自問の道のりで手にした
《サムライ本》を、いまの自分が読み返す。
すると当時は沸かなかった解釈論&懐疑論&推論&異論がかもし出されてくる。これが《サムライ本→読書私論》の趣旨だ。
第三回で『秘刀』(中津文彦・著)を取り上げた。
湾刀の誕生の謎に挑んだ時代モノ推理小説『秘刀』も「馬上の戦いから湾刀が生まれた」に立脚している。
これが間違いだと断定したうえで再読すると、実におもしろい。
いや、著書をあげつらうのではない。自分の思考の足跡が見えるからおもしろい。
そして「結」
Face bookは日々の心模様ありありの、短時間での書き殴りの文章だ。
再読し、これを逆手にとって、人様の著でなく自分に刄{やいば}を向けてみようと思い立ったのである。Face bookの足跡をたどることで、
して、題目は「Face bookでは書けなかったこと」とした。
「おまけ」
「武道通信」&HP「草莽杉山・奮戦日記」&拙著でない“顔が見えない”読者には「起承転結」が大事だとFace bookで改めて教えられた。