第十四話
平成二十七年 十月十日
西郷隆盛の刀鑑定法
『維新の源流としての水戸学』(西尾幹二・著「GHQ焚書図書開封11」)を不謹慎にも、寝っ転がって読んでいたら、“ちょっと、いい話”が出てきて、ガバッと起き上がった。
あの藤田東湖と西郷隆盛の話。
《あるとき東湖は刀を一本さし出して、西郷に「これを鑑定して欲しい」といった。すると西郷はその刀を取って庭に出て、バッバッと振ったといます。それを数回やってから席に戻り、その批評を試みたといいます。
ふつう、刀の鑑定というと、刀身をためつすがめつ眺めて批評するのに、西郷はそうでなく、実際に刀を振ってみた。そこで東湖は西郷に対する信頼をいよいよ厚くしたというのです。これもおもしろいエピソードだと思います
行動で示さなければ信じない。水戸学の精神にも通じる話だと思います。》
原文のまま。
* 矯めつ眇めつ=「いろいろの向きから、よくよく見るさま」
拙者、そのむかし、初体験の刀の鑑定の場で鞘から抜いた刀を正眼に構えたあと、上下に二三度振り下ろした。で、ひんしゅくを買った。
また、刀の鑑定の場があったら、バッバッと振ってから、この“ちょっと、いい話”をしてみようか。
文中「刀を一本」と出てきた。刀の数え方だ。
太刀は一○、打刀は一○、短刀は一○などと講釈は必要ない。
千年前から呼称はあるだろうが、呼称は生モノだ。
現在での刀の数え方は、一本でも一振でも一口{く・ふり・こう}、一腰{こし}でもいいのだ。
たぶん藤田東湖、西郷隆盛はそう云うだろう。
夕べ、かつての居合塾の兄弟子にあたる御仁から電話があった。いまは一門を成している。
「血判」の“正しい”取り方を聴いてきた。
時代劇で使われている武士の作法は、大方、芝居小屋から来ている。遠目の舞台ではどうしても大仰にしなければならないし、見せ場としなければならない。
女子の自害が芝居小屋では短刀で喉を突くことになった。武家屋敷では心の臓を突いた。
武士が血判を取るとき、左手親指で脇差のツバを押し出し、右親指を刃に押しつける。
それでは指にキズがつき、血判がカッコ悪くなる。
親指を刃にそっとつけ、そっと撫でれば出血する。
刀の数え方は、どうでもよい。
しかし、武士という者は、年がら年中、刀を持ち歩いていた人種だということを失念してはならない。家の中でも腰に差していた人種だ。
指先を切ってしまうことなど、よくあったろう。
ソコんトコを見損ねると、武士の感性みたいなものはわからない。
日本刀を鑑賞しただけではわからない。