第十五話
平成二十七年 十一月二十日
芹沢 鴨の「誠」
前述の『維新の源流としての水戸学』に「天狗党」は出てきても「芹沢 鴨」は出てこない。しょせん、出自がはっきりしない“雑兵”、致し方ない。しかし、新選組ファンとしては寂しい。
芹沢鴨の逸話は、新選組ガラミでよく知られているが、どこまでが実像かさだかでない。水戸人の気風「三ぽい」の<理屈っぽい・怒りっぽい・骨っぽい>が味付けされてもいよう。
たしかなことは、芹沢の身体には水戸学が染み込んでいたことだ。「三つ児の魂百まで」である。
新選組の“組葬”として立派な葬儀だったが、芹沢の墓に戒名はない。芹沢の生前からの意思であったことは想像するに易い。芹沢と一緒に暗殺された水戸浪士も戒名はない。
近藤勇、土方歳三にも、当然、幕末の思潮である水戸学の影響はある。しかし、近藤も土方も戒名にこだわった神仏習合信者。
西尾幹二氏が云う「行動で示さなければ信じない。水戸学の精神」を通した芹沢 鴨。
新選組の隊旗の「誠」は、「言」と「成」からなる。「知行一致」「有言実行」のこと。まさに行動で示さなければ信じない水戸学の教え。
隊旗の「誠」の発案は芹沢 鴨だったか?
新選組を水戸学衛兵隊にしたかったか?
謎を<ためつすがめつ眺めて>解いたとしても、そこにある歴史の山は動かない。謎を解いただけで芹沢 鴨の身体に染み込んで水戸学への情念は吾らには見えない。
徳川幕府の甲州口の砦、八王子千人組が「三つ児の魂百まで」の近藤、土方も見えてはいなかったのではないか。