第十八話
平成二十八年 二月十三日
されど鍔
吾がPCの“守り刀”は、もうひとつある。
PC本体の上に鎮座した金的。
弓道道場の恒例の元旦射会。
的は直径36センチの霞的{かすみまと}でなく、9センチの金紙が貼られた金的。
これが単独で垜{あずち}(堋・安土)に据えられると、兜をかぶった武者の鼻を狙うような感じだ。
集った二十名ほどの門弟一同、これを順に射ていく。
平素なら霞的の中心の白地(8センチ)に的中するのは珍しくないのに、なぜか皆、なかなか当たらない。何度も順番が回る。時間制限があったが、どのくらいかは忘れた。
前夜、除夜の鐘で煩悩を払ったばかりなのに、欲がミエミエであるからだ(笑)。
人は誰でも縁起を担ぐ。元旦の金的射会で金的を射止めれば、今年はよいことがあるとの欲だ。
拙者、なぜか当たった。記憶がある。
何度か外したあと、絶対当てる、と念じてリキんだ。なのに、当たった(笑)。
この年、当たったのは道場最高段者二人と拙者の三人だけ。射抜いた金的はお持ち帰り。
矢の穴が空いた金的の的枠に「平成十三年 元旦」と記されている。
想い出の道場も、道場主が彼岸に発ち、いまは高層マンションが建つ。
PCの上に置くと、すぐ転げ落ちる。で、重し替りに鍔(鐔)を中に入れてある。
郷里に帰った折、亡父の机の引き出しから見つけた脇差の鍔。
亡父は文鎮代わりに使っていたのだろうか。
透かしはないが、耳(周囲)にまで細かい花模様の金の象嵌が施されている。
とて、名品ではないことは一目瞭然。表面の磨れ具合から明治期以前の
ことは明白。
4年前になる。『JAPANISM』の依頼で、靖国神社遊就館での「奉納 新春刀剣展」を取材した。
この鍔を懐中に忍ばせていた。が、研磨、彫金、鞘の実技は行われていたが鍔職人はいなかった。この鍔の年代を見てもらう魂胆であったが。
鍔は古墳時代の剣からある。鎌倉時代、室町中期ごろまでは刀匠や甲冑師が鍔づくりを兼任していた。ゆえに戦場へおもむく武士の心を知っていた。武士の信仰や心映えを、その鍔に入魂した。
鍔専門工が生まれたのは、室町後期とされる。この時期の鍔職人も鍔に武士の魂を入魂した。
様相がガラっと変わったのは江戸期。理由は云うまでもない「泰平」。
作刀の需要はめっきり減った。甲冑師も仕事がなくなった。
泰平武士は刀装に凝った。町の金工職人が腕を振るった。鍔づくりの歴史の中で最も精緻な透かし、象嵌が造られた時代であった。
とき流れていまの世。武士がいなくなったいまの世、
武士の信仰や心映えを鍔に入魂しようとする鍔師はいるのだろうか。
いるはずである。
たかだか巻き藁斬りでも、「いざ、己は人を斬れるか」と自問する者もいるのだから。