第十九話
平成二十八年 四月○日
桜と武士
古代日本列島住人にとっての桜は「女性の化身」。豊饒と泰平を招く、めでたい<まえぶれ>であった。
桜の下で宴のはじまりは平安王朝の貴族。宴は梅より桜が似合う。
雑兵出の秀吉は桜の下での宴が好きだったが、多くの戦国の軍人{いくさびと}の武士は、独りしずかに咲き佇む山桜を我が身になぞらえて愛でた。
江戸、武士の実相が代わった。軍人から行政マンになった。
庶民は、良き行政マンになって欲しいと武士をヨイショした。いや、その心底には、お侍さんは弱きを助け、悪を懲らしめる人であってほしかった。お侍さんは強く、頼もしい人であってほしかった。
で、「花は櫻木 人は武士」とおだてた。
「花は櫻木 人は武士」は歌舞伎で流行らせた。
明治になり、武士階級は消滅した。元武士の軍司令部は「花は櫻木 人は武士」を国民皆兵の庶民出の兵のサムライ精神の教育とした。
靖国神社に、地方の招魂社に桜を植えた。
その桜木は幕末に偶然、染井村で発見され、江戸人に人気を呼んだ雑種の桜「吉野桜」。ソメイヨシノである。
そして、戦時、つぼみから満開まで一週間。満開から散るまで一週間。
パッと咲いて、パッと散る。ソメイヨシノは軍人のシンボルとなった。
いまある日本人の桜景観は、江戸の世の庶民の桜景観と、明治の招魂社のソメイヨシノの桜景観が混ざったものだ。して、昨今のTVが執拗に報じる桜景観は招魂社のソレは抜け落ちている。
まあ、いまの世の下々も、江戸の世の庶民の桜景観で愉しまれよ。
拙者、野生種で一斉に咲かず、各木(各自)がバラバラに咲き、独り佇む山桜の方が好きである。