<二話>

◆「月{がつ}」の異称は町人文化が生んだ

平成二十六年九月五日 up

Face book「武女」は拙著の拡販のためであった。

『武女』の登場女性のあらましをかいつまんで話した。

<記した・述べた・話した>と、そのツド表記が変わった。気分次第であった。
本稿もそれに準じるだろう。

 『武女』の舞台回しは、十二ヵ月の四季の移ろいと歳時のイベントである。
で、元旦を序章に大晦日を終章とし、プラス12の14章とした。

「睦月」の謂れは実月{みつき}である。稲の実をはじめて水に浸す月のことだ。
「如月」は萌揺月{きさゆらづき}が転じた。稲も含めた草木の萌え出づる月の意味。
「弥生は「草木弥生月{くさきいやおいづき}の略語。弥{い や}は「いよいよ」、生{おい}は生い茂るの意味で、草木がますます生い茂る月。
「卯月」は植え月に由来する。稲を植える月である。旧暦では夏のはじめである。
5月の「皐月」は早さ苗なえを植える月、早苗月がつまって皐月。稲を植える二十四節気の一つ芒種{ぼうしゅ}の頃。
「水無月」は田水之月{たみずのつき}のこと。田植えが終わって田に水を一杯たたえる月。転じて、「みなづき」になった。「水無月」と当て字された。

当て字の犯人は町人。
 『武女』の通奏低音にあるのは「元禄は武士の分水嶺」だ。
元禄を境に武士は行政の役人、サラリーマンと化した。泰平は町人に富をもたらした。
自然、教養も身につく。が、農業の知識は薄らいでいく。江戸の武士もそうだ。末裔の夏目漱石が水田をみて「あれ、ナンダ?」と。
一月の睦月から、如月(二月)、弥生(三月)、卯月(四月)、皐月(五月)、水無月(六月)と月の名はすべて稲作に関係している。
御飯{おまんま}のありがた味はわかっているが、つくる人間へのありがた味は減った。

 「文月」もやはり稲作から稲穂が大きく育つころで、「含ふくみ月づき」が転じた。
「葉月」は稲穂の発する月との謂れから。
9月の「長月」は稲が実ることの意味。「穂長月」からの転じた。
「神無月」は新穀で新酒を醸{かも}す月のことから醸成月{かもしなりづき}。これが「かみなしづき」となり「かんなづき」に転じた。
八百万の神々が、一斉に出雲国へ旅立つから「神無月」も、町人の異称からの当て字。
町人も古事記を読む時代になった。
「霜月」は、その年に収穫した穀物を食する月のことから転じ、当て字となった。
「師走」は「歳果つ」が「しはす」と転じ、師走と当て字された。
「如月」が着物を重ね着することから「衣更着{きさらぎ}」とか、卯月」 卯の花が咲くからとか、「文月」は牽牛と織姫姫文を供えることとか、「長月」は夜が長くなるから「夜長月」とか。月見がいつしか飲んだり歌ったり、町人の親睦の宴となった。
元来の農民の謂れを町人風にアレンジされていった。

ひと昔前までは、一月に生まれた子は睦子、五月生まれは皐人との命名があった。が、いまの世、この月の呼び名は埃をかぶっている、いや埃に埋まっている。