第二十七話

平成二十八年 十二月八日

 

劍を振るう

 

人が二本足で立ったのには諸説あるが、私の持論は、天に感謝の気持から両手を天に向って振った。お踊りが人を二本足にした。皆様の踊りで本日、ここに神が降り立ち、国立市民は元気をいただきました。

 

わがまちに「よさこいソーラン」のチームがないと嘆く某女性にウチのNPOに入ればつくれると、会員募集したのが十年前。

近隣の「よさこいソーラン」チームら10チームほども募ってもらい、秋の市民祭で交通止めした大学通りで踊りまくって今年で八年目となった。上記は拙者の閉会の挨拶。

 

そうは云うものの、拙者、一度も踊ったことはない。踊りの行進列の末席で二、三度、旗を振った。仕事もっぱら賛助金集めとプログラムづくり。

 

拙者の““神ってる”踊りは劍の素振り。

ある日、あるとき、永遠の謎であった反りのある、鎬{しのぎの}ある劍を武士が鍛冶屋に発注したわけがストンと腹に落ちてきた。

 

拙者と同じ和・洋の踊りとは無縁と察する御仁、劍を振りなされ。無心になって振りなされ。

IT企業の若き社長、禅寺で座禅組んでいるヒマあったら無心になって劍を振りなされ。

本身(真剣)が無ければ模擬刀でも木刀でもよい。ナ~ンも考えないで、ただただ振ればよい。

 ただ振る前に「敵をきるものなりとおもいて、劍をとるべし」と唱える。