第二十八話
平成二十九年 一月?日
弓を引き絞る
平素、ほぼ毎日、弓を引き絞る。矢はつがわないカラ弓。
キリキリと絞って那須与一気分になる。
あくまで気分である。那須与一の弓を引いたらとしたら、まったくもって引けまい。微動だにせずであろう。
鎌倉時代の戦闘の弓は、現代のヘナチョコ弓とは別物。矢竹の太さ、鏃の重さ、形状もまったくもって違う。こんなことすら忘れられたと、江戸の世の軍学者は嘆いていた。江戸の世の軍学者、いまの世の弓道界の弓を引いたら、唖然とし口をパクパクするしかないだろう。
特に射術に優れ九州に勢力を張り、鎮西八郎と称せられた源為朝の左右の腕の長さはで四寸(約12センチ)違っていた。「誰よりも「ひきしろ」が大きかった。(保元物語)」。誇張もあろうが、子供のころから毎日毎日、弓の練習をしていたからである。
鎌倉武士の“小学五、六年生”は騎乗から弓を射ることを大人たちに見せなければならなかった。受験勉強もなかったから武芸習得に明け暮れた。元服(十五、六歳)とは、一人前の軍人{いくさびと}になったということ。
江戸の世になると八歳から受験勉強(漢籍)をしなくては武士ではなくなり、弓は元服の十五歳になってからでも可となった。
そんな軟弱な武士さへ絶滅人種になったいまの世、武士の記憶のDNAを呼覚ます手はないか。
カラ弓でよい。日々、ナ~ンも考えないで、ただただ引き絞ればよい。
ただ引き絞る前に「南無八幡大菩薩」と唱える。