第二十九話

平成二十九年 二月五日

 

研ぎ澄ます

 

四つ下、1950年生まれのUSA国防長官の顔を見て「研ぎ澄ます」との言の葉が浮かんだ。

 

「研ぎ澄ます」は劍の研磨のこと。武器の鋭利さだけでなく、清明さを浮き上がらす。殺生を生業とする武士は、公家風の穢れを忌み嫌うのでなく、殺生を定めとする覚悟を映すため。己の殺生には清明さがあると。

劍を「研ぎ澄ます」ことで、武家は公家、仏家コンプレックを払拭した。公家、仏家を蹴散らし武家政権が誕生した。

 

武士の前身は猛し狩猟人であった。日本列島には鹿、猪が溢れていた。鹿、猪を餌食にする狼も溢れていた。

狩猟人のまずもっての技は矢で射止めること。それに併せ解体作業。毛皮剥ぎ、血抜き、内臓、筋抜きのプロフェッショナル、職業としてきた。

肉は食せぬが建前の京の公家、仏家の肉食の需要に応えた。

 

前置きが長くなった。

心棒をその場その場で、その場に合った砥石で砥いできた気がする。

とは云え「砥ぎ澄まされた」との感はいまだない。死ぬまでないのだろうか。

武士のように矢刄{し‐じん}をくぐってこないと、USA国防長官のように弾雨を凌いでこないと砥いでも砥いでも「澄ます」ことはできないということか。

 

とは云え、世間の埃にまみれた大人が、一瞬でも「無心」になるコツはわかってきた。心を晴れ晴れとすること。その技は門外不出の秘伝(呵呵大笑い)。

 

 とは云え、USA国防長官と防衛相の会談。大人と子供だった(呵呵大笑い)。

 そう云う拙者とて子供と大人であろう(呵呵大笑い)。

 ああ、そうだ。別れの杯を交わす特攻隊員は「砥ぎ澄まされた」目をしていた。嗚呼! 二十年早く生まれていたら特攻隊員になれたのに。