<四話>

[死]の尊厳。[死]の再生 

平成二十六年十一月二十七日 up

 

 拙者より20歳ほど年下の衆議院議員が、国会質問でこう云い放った。
「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」
「本来日本は、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国だった」
拙著『武女』をデモンストレーション的に云い放つと、この女性議員の発言に近いものになる。
『武女』の筆者、つけ加えるなら「男女同権は天賦の役割分担の義務を果たしたあとに手にするもの。権利は義務を全うしてから手にできるもの」
さらに付け加えるなら、「子供は天から授かった天賦人権を持つが、社会の定める権利はない。子を守る親の天賦義務、社会的義務に中にある」

 時代の思潮の流れが、丸木舟に乗っているかのようにわかる。
異文明、文化の男女平等、男女同権に丸木舟の日本丸はアンバランスになり久しく揺れている。

 いま「高倉健」が巷にあふれている。
あのとき任侠映画が突然に喝采を浴びた。
そのわけが、場末の映画館で唐獅子牡丹をよく観た拙者にはよくわかる。
カミカゼ映画が廃れはじめたころ、[死]の尊厳をヤクザの背にみつけた。
命が大事、大事と叫ばれたころだ。
命が大事、大事と叫べば叫ぶほど、死の尊厳が軽くなる。
サムライ遺伝子情報をかすかに残す日本人の危機感をわずかなりに慰めてくれた。

 明日、三島由紀夫の四十四回忌がくる。(筆・11月24日)
三島由紀夫と森田必勝は死なないためのアンチエイジング、死の再生を成して、いまなお生きつづけている。