<第七話>

Face bookに「よくないね!」も

 

Face bookの「いいね!」ほど当てにならぬものはない。

と、拙者にFace bookを薦め、セッティングしてくれた若者に云った。

はじめてから半年もたったころであろうか。

 

ここで社会心理学者ぶってのウンチクはやめる。

「当てにならぬものはない」と見えたのだ。その感性を文字面にしてもせん無い。

 

Face book評うん蓄はゴマンとあり、「いいね!」の論議もだろうが、たぶん、皆、見てない。

日本刀をみても、なにも見えない御仁たちであろうから。

いやなに、賢者愚者の差ではない。感性の差だ。

 

「いいね!」とは別に「よくないね!」がカウントできるFace bookができたら、また参加する。

 同胞を危険に陥れる、地球より重い「人命尊重」の罠。この罠から脱出するために、同胞を危険に陥れる者に「なぜ自害しなかつた」と叱れる者たち。そのために「いざ、自決すると決心したとき、自決できるか」を自問し、日々、自己鍛錬する者たちが住む國(藩)を、この日本列島の中に建國するのが[サムライの国]の趣旨。

 

「サムライの国」の「いいね!」と「よくないね!」の比率がどうなるか知りたい。1対10,000か。

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[サムライの国]住民登録の仕方

 メールにて

 件名:「サムライの国」住民登録

 あとは名前(本名)。住所は不要

 それだけ。

「サムライの国」住民登録済みとの返信を差し上げる。

 住民に杉山頴男ネット私塾「サムライの国」を配信する予定。

 束脩のお気遣いはご無用。

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「よくないね!」は拒否される受身ではない。こちらが振るい落とすのだ。残った者を見定める手段とする。そして、地べたでお会いする。

ソーシャルでない、マン・ツー・マンのネットから地べたでお会いし、良き友となった御仁は多い。

最後の最後は「地べた」である。

最後の最後に事を成すのも「地べた」である。

 

談余。

子らのネット使用是非が喧{かまびす}しい。

「地べた」で遊んで、「地べた」で勝ち負けを競っている子らは大丈夫だ。主軸を地べたに置いておけば好い。