<第八話>
[コピペ]で失われる垣根
先の某大学の某学長の祝辞の一節をコピー&ペーストする。
《残念なことですが、昨今、この○○でもモノやサービスが溢れ始めました。
その代表例は、携帯電話です。アニメやゲームなどいくらでも無為に時間を
潰せる機会が増えています。
スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。
スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。
「スマホやめますか、それとも○大生やめますか」
スイッチを切って本を読みましょう。
友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。
自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。》
「スマホやめますか、それとも○大生やめますか」の一言が、ソーシャルメディアで侃々諤々らしい。さも有りなん。
しかし、某学長の真意は、こう云いたかったのだ。
近ごろのピカピカの大学一年生には、マトモに云ってもわからぬと断じて、
覚せい剤取締りの標語を借りたのだ。
拙者、学長の気持がよく、わかる。
某学長、こう云いたかった。
スマホ依存症になると「自分の知っていること」と
「自分が知っていると“思っていること”」の
垣根があいまいになる。そう心配しているのだ。
武術のDVAを見て「わかった!」と感じても、それは自分がわかったと“思い込んでいること”で、ホントはわかっていない。
ナマで投げられ、打たれないと「わかった!」の糸口は見つからない。
この垣根はすでに取り除かれているようだ。大学四年生には。
超一流某大学の卒論の五割以上は<コピペ>で書かれていると。
と、某学長、弁護しつつも一言。
「スマホを捨てて、まちに出よう!」と寺山修二風には云えぬ。
拙者、十数年前、好きでもないPC、ネットに悪戦苦闘した。
ネットで本を読む時代が到来するとの商売で必要だったからだ。
そのおかげでわかったことがある。
<一時代>をつくった知性溢れる御仁は、新しい道具を毛嫌いすると、知った。<一時代>を「時代遅れにする」個性、独創性が育つからだ。
テレビがそうだった。テレビ育ちでない大人たちは危惧した。
テレビは「知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません」と。
テレビは「一億、総白痴化」と賢者は危惧した
しかし、テレビは多くの個性、独創性を育んだことは確かだ。
「痛い!」ことと「痛い!と思っていること」の違いは、教養がなく、本能がまだ優勢な幼児の方の理解度が早い。
小学生からスマホを使わせた方がよい。
問題は節度ある使い方だ。親の問題だ。
親は学校、社会の所為{せい}にしない。
親の如何{いかん}で、子は利口にも馬鹿にもなる。それで好い。
それがまっとうな格差社会。