悠仁親王の誕生当日に、今上天皇から守り刀が贈られた。人間国宝の天田昭次刀工の作。一昨年、還らぬ人となった。享年85。鎌倉期の刀・地鉄の研究に生涯を捧げてきた刀工。
現代の刀工に理想の刀とは?と問えば、大概は鎌倉刀を答えるだろう。
「時代が進むとともに質が悪くなったものが二つある。剣の地鉄{じがね}と、そして人間」
江戸後期の刀工、水心子(正秀)の一言である。
刀工で水心子の名を知らぬ者はいない。「鎌倉刀へ還れ!」の復古刀を唱えた刀工であり、当代随一の刀剣理論家で、驚くほど多くの塾生がいた。
なぜ、古刀の地鉄は明るく冴え、深い淵のような凄みがあるのか。
鍛錬の仕方に違いがあるのでは。水心子は思案した。
三顧の礼をもって昔の名工の子孫を訪ね、秘伝書、口伝を調べた。そして、ついに相州の、あの正宗嫡流の伝書の中に「卸{おろ}し鉄」の法を見つけ、これだ!と膝を打った。
卸し鉄はご存知であろう。良質な玉鋼がつくられる前の製鉄技術が未熟の時代は、異質な鉄塊(炭素量の違いのある鉄)を重ね、炉で加熱し、叩き(鍛錬)、不純物(鉱滓)をはじき出し、炭素量を平均化する。折り返し鍛錬である。刀工の感性、業師の経験、勘が勝負。
製鉄技術が向上し、良質な玉鋼が大量つくられると、卸し鉄という古刀鍛錬法での苦労、工夫が減った。便利になった
苦労し工夫し、異質な素材を自在に組み合わる技で古刀の地鉄は明るく冴え、深い淵のような凄みが生まれた。
元甲冑づくりの虎徹は、古い甲冑の鋼を集めて使っていて、これに気づいた。
便利になって地鉄の質が落ちた。これは現代にも通じる。
平成の水心子がいたらこう云っただろう。
便利(Convenient)が人間の質を劣化させたと。
しかし、云うは易しである。水心子の世も「便利」の利点はよく知っていた。いまの世、ますます「便利」から脱出はできない。「便利」がますます“進化”する。
「便利」で人間の質が劣化するのを少しでも防ぐ手立てはあるのか。
水心子になるしかない。天田昭次刀工になるしかない。で、われら凡人は凡人なりに「復古」をめざす。
自分の一番、“居心地のよい場所”で、古{いにしえ}に還る算段をしてみることだ。
拙者にとっては、「サムライはどんな素材と素材の折り返し鍛錬で出来たのか」を探ることである。