SAMURAIのいろは 其の<を>
――会社(藩)経営大赤字でもリストラはなかった
サムライの給料は禄とか扶持<ふち>とか云った。戦国の世は武功によって
その額は決まったが、泰平の江戸の世では、一代限りではなく世襲され、家に
与える家禄となった。家禄の大小は身分格式の上下とされた。しかし、これは
固定給で役目に応じて役職手当がついた。武士のサラリーは、この家禄と役職
手当の二つからなる。
役職手当にのうち「役高」は格式料だ。封建時代の為政者、武士は家の格式
が秩序の背骨であり大事だった。五百石の旗本が大抜擢されて、将軍の側衆に
連なり五千石となると、その格式を維持するのに四千五百石が追加される。
六千石の旗本が抜擢されても一石も足して貰えない。
ちなみに一万石以上が大名。
これが格式優先の武士の感覚であった。金より格式の方がはるかに価値が高
いと云うことだ。
役高は何千石の米が取れる土地を拝領することだが、金で支給される「役料」
というものもある。六千石の旗本でも、膨大な経費がかかる役目があるからだ。
大名でも京都所司代、また高禄の旗本がなる長崎奉行になると、役料がつい
た。これは役目でかかる経費で、これは金でもらう。
大抜擢ではなく次長から課長ぐらいに昇進すると「役扶持」がついた。
部下が増えるからだ。部下のための扶持米がもらえた。一人につき一人扶持。
玄米一日五合。
また「合力米」というのもあった。役職手当ではなく、役を務める上で足り
ない分を補うという意味から与えられる。
下級武士にもそれなりに手当てが出た。「四季施代」である。春夏秋冬の仕事
着代である。身奇麗にして仕事場へ来いというものだ。
役高、役料などは任期が切れたり、失態して御役御免となればなくなる。
だが、武士のピンからキリまで家禄があるから役職から外れても食うにはこま
らなかった。
各国(藩)は徳川将軍家の旗本、御家人の給与体系に従ったが、お国柄によ
ってまちまちでもあった。大雑把に云ってざっと、こんなものだということだ。
武功で領地を増やせなくなった社長である殿様は大変であった。十万石の大
名というが、十万石まるまる藩の懐に入るのではない。農民と領主の取り分
は四公六民が習い。つまり手取りは藩の取り分は四万石。
治水工事、灌漑工事で田畑を増やしたり、米以外の殖産事業で国を豊にする
ことが殿様の責務で、家臣たちはそのために知恵と汗を搾った。甲冑は鎧櫃<
よろいびつ>に仕舞い込んで。
だが。景気には高不調があるのは世の習い。わが国、ただいまリストラの嵐
が吹き荒れている。だが、サムライにはリストラはなかった。なぜか?
サムライは戦さびと、つまり軍人が本業である。いざ、戦争がおこったとき、
わが国は不況にあえぎリストラしましたので兵は半分しかいません。などとは
口が裂けても云えないのだ。云ったら武士でなくなる。常在戦場が武士の務め
である。
藩(会社)の収益が下がれば殿樣は一汁二菜で我慢。家老から末端の武士ま
で減給。なにせリストラしないのだからそれしか手はない。
武士は食うために働いているのではない。いざ、戦さのときに殿様への忠義
を果たすためである。江戸の世の武士のエートスがおのずとわかろう。「武士は
食わねど高楊枝」と、痩せ我慢して貧に耐えていた。