SAMURAIのいろは 其の<ね>
――戦国武将の恐るべき謀略の数々
江戸のサムライが、実戦剣法以外忘れてしまったものに謀略があ
る。サムライ語では「はかりごと」と云う。「謀」と書く。カッコ
つけて「奸計<かんけい>」とも云う。庶民風に云えば「わるだく
み」。現代風に云えば「裏切り」「詐欺」「罠」「ペテン」。
戦国の世の約100年間、合戦前には、ありとあらゆるはかりごと
が水面下で繰り広げられていた。
戦国の世とは、下克上の始まりとされる北条早雲の出現から秀吉の
小田原攻めでの天下統一までとの通説がある。しかし、応仁の乱も
つまるところ下克上。また武蔵國、つまり関東では北条早雲より早
く、ミニ北条早雲が出現していた。終わりも家康が天下人となった
関ヶ原の合戦までとみた方がよかろう。すると150年ぐらいにな
る。余談おわり。
この戦国の世をいっときは束ね、天下人になった戦国の雄・織田信
長は、はかりごとの天才でもあった。信長に謀反した明智光秀は語
っている。「仏の嘘を方便と云い、武士の嘘を武略という。これに
比べると民衆は可愛いものだ」。知識人武士らしいセリフだ。こん
な自虐の甘さがあったから三日天下で終わった。
戦国のサムライは、殺生(殺人)は神仏を介し囘避するとの智慧と、
極楽も地獄を信じない強靭さを併せ持っていた。たとえ地獄があろ
うと閻魔大王と刺し違えるぐらいの肝玉を持っていなければ戦国
大名(お屋形樣)にはなれなかった。
織田信長をサンプルに、戦国武将のはかりごとを述べよう。
信長の正妻、美濃の斉藤道三の娘、濃姫。新婚生活早々、歴史から
消えた。時代考証家、戦国歴史家は“消息不明”とだけ云う。資料
がないからだ。が、サムライとは何者であったかの想像力があれば
見えてくる。
濃姫は、信長のはかりごとにはまった。新婚ホヤホヤの夫にだまさ
れた。詳しく話せばこたえられないほど面白いが、長くなる。ごく
簡単に述べる。
信長は閨で、新婚早々の妻に斉藤家の家老が裏切り、織田家に味
方していると濃姫を信じ込ませた。濃姫は自分の結婚が、美濃と
尾張の和平であり、その工作をするのが女の戦さと心得て嫁いで
きた。しかし、嫁ぎ先が何か企むようなことがあれば実家に報告
し、未然に防ぐ。それが両国の民の為であり、兵士の妻子の安堵
である。自分の使命はこれだ!
これが姫樣たちのプライドだ。政略結婚の犠牲者扱いはもう止め
にしよう。姫様たちに無礼だ。
濃姫は、この蜜報を織田家に忍び込んでいた美濃の間者<かんじ
ゃ>、スパイを使い父道三に知らせた。
父道三は、この報のウラを取らず怒り、有能な家老を斬り捨てた。
ここから美濃斉藤家の崩壊が始まり、信長は美濃をわが手に収め
た。これは謀略術の一つ、反間<はんかん>と云って、敵の間者
に嘘を本当らしく伝え、敵を混乱させる。
信長は、己のはかりごとが成功したことは隠したかった。サムラ
イが得意技を秘すのは当然だ。で、織田家は濃姫を“封印”した。
どのように“封印”したかは定かでない。斉藤家が壊滅しても、
濃姫の痕跡が見えないのは、もう泉下の客になっていたかもしれ
ない。実家と婚家の狭間で揺れた姫たちの物語は尽きないのでや
めておく。くどくど云うが戦国の世の姫として堂々、女の戦さを
していたのだ。
信長、この反間のほか内間<うちかん>の名人でもあった。内間と
は敵国の中で不平不満のある者を利用するはかりごとだ。信長は更
に手の込んだことをした。
今川義元が上洛するとなり、尾張織田は絶対絶命になった。信長は
今川軍の先鋒にいる歴戦の勇士である武将の筆跡を祐筆に真似さ
せ、義元はバカ殿様だから織田方に着くとの偽手紙を書かせた。
これを実に手の込んだ方法(これが傑作であるが割愛)で、偶然、
義元の忠臣に渡るようにした。まんまと義元ははまり、この武将、
切腹されられた。
義元、道三と同じように戦国大名のくせに、これが信長のはかりご
とだとは気づかなかった。義元、敵は前方だけでない。北(甲斐武
田)にも東(相模北条)にもいる。戦国の世では権謀術数は日常茶
飯事である。いつしか忠臣さ信じらなくなっていた。
信長が天下武布を掲げられたのは鉄砲など最新技術をいち早く取
り入れただけではない、はかりごとも巧みだったからだ。そして騙
す方、騙される方のせめぎ合いに強かった器量が備わっていた。
この手の器量で義元より上だった。
器量は天性か、はたまた躾のような後づけか。それはともかく、謀
略の数々を語りはじめたらキリがないが、これが戦国のサムライの
真骨頂であり、サムライの実像でもある。
で、次回で謀略をもう一度。