SAMURAIのいろは 其の<む>
――サムライが茶湯と禅に凝ったわけ
戦国の世の謀略を知るにつけ、まさに生き地獄、骨肉相喰む無間<
むけん>地獄。そんな戦国のサムライが正常な神經を保ちえた助け
となったものに二つある。茶湯(茶道)と禅である。
織田信長の茶道具の名器収集、世に云う「名物狩り」が有名である。
が、これは枝葉のこと。戦国のサムライは実利がなければ手は出さ
ぬ。茶湯ブーム出現は、誰もが天下人になれるチャンスがあった
下克上の世だからこそである。
戦国のサムライが第一に優先する実利とは何か? 合戦に勝利する
ことである。合戦を避け戦わずにして勝つのも勝ちのうち。
茶室は大抵三畳間。広さは90cm×180cm=1.62m2の密室。
点前<てまえ>する主<あるじ>と茶を飲む客の向き合う距
離は1mほど。互いに腰に刀を帯びてない丸腰状態。敵味方でも、
上下関係もない者同士という暗黙の作法である。サムライ同士、心
情を明かしあう場作りはできあがっている。
つまり内緒話しにもってこい。密談、密約、密計(密謀)、密告を
する場であった。盗聴器などない時代だ。
これだけではない。相手に腹の内を探る格好な場でもあった。
茶道をかじった御仁ならおわかりだろう。誰もが同じ動きをする型
にはまった作法は、逆に人の心の動きがよくわかる。
味方だと思っていたが、間者(スパイ)、間諜(情報員)からの知
らせでは、こやつは裏切ると云う。では、茶の湯の席で、自分の目 で
確かめてみよう……ということだ。
丸腰であっても、心の刃はピタリと相手の喉下を狙っている。それ
が茶の湯だ。
次に禅。
織田信長のブレーンには禅僧がいた。「天下布武」は禅僧のネーム
ミング。講談調の武力をもって天下を我がものにする意味ではない。
武家の政権をもって天下を治めるである。乱世の因は天皇(公
家)と仏門、武家の支配図が乱れたことになる。この三つ巴
から武家が抜け出し、天下を平和に戻すとの宣言が「天下布
武」。
戦国大名ハシリの北条早雲の前身は、早雲庵宗瑞という禅僧。武田
信玄、上杉謙信も信長と同じに幼年期の家庭教師は禅僧であった。
徳川家康も今川義元の師であった軍師でもあった禅僧から教育され
た。
当時は禅と兵法はセットであった。いまの世の禅とは無縁。
禅とは何か。一言でわかるよい逸話がある。『葉隠』だ。
山本定朝が師である禅僧に問うた。「何が善いことで、何が悪いこ
となのでしょう」と。
師は答えた。「善いことをするとはどういうことかというに、一言
にしていえば苦痛をこらえることである。この苦痛をこらえないも
のはすべて悪い」
命のやり取りをするサムライたちは、紙に書かれた学問、知識より
大事なのは、生命の危険をいち早く知る原始脳、危機を乗り越える
知恵が大事だと知っていた。これを鍛えるのが禅であった。