SAMURAIのいろは 其の<ゐ >
――サムライは父系の血筋より家筋、武門にこだわった
「結婚は家と家の結びつきだなんって、時代遅れ、封建的よね」と云
うことで夫婦別姓が堂々、国会で立法されることになりそうな世とな
った。
先の選挙で夫婦別姓の尖兵が落選した。夫婦別姓反対の民意の表れだ
と保守主義者は安堵しているが、サムライは油断召さるな。
夫婦別姓は日本国と無縁な易姓革命で王朝交代を繰り返してきたシ
ナ・朝鮮の氏族制度(宗族・門中)の専売特許であり、現在に至って
いることは、すでにご存知だとうから、これに云々することは省く。
サムライは夫婦別姓などもってのほかであったことを述べる。
サムライは跡目相続を嫡男(長男)としたことからお家騒動がおきた
と時代劇は云う。それは合戦がなくなったから人材論でなく嫡庶論、
血筋の濃い順が優先になったからだ。それは武門のシンボル、将軍
家とかお大名家のことであった。室町時代、戦国の世とて同じ。
天皇家の男系による万世一系に武門も対抗意識としてあったのだ。
これは日本の歴史の深層に関わることで、傘貼り浪人程度の浅学の
徒では明文化できないから、これも省く。
“弱国”になったと云え、まだ日本が技術立国であると誇れるのは
技術の伝承を大事としてきた伝統があるからだ。そこには「家」が基
盤にあった。だから家業を継ぐことがまずもって優先する。
「家」の家業は社会の役割分担だという認識は、日本人はかなり古
くから持っていた。江戸時代はそれが庶民まで道徳心としてしみこん
だ完成期であった。幕府を「御公儀」と呼ぶが、公儀とは公平である
べき公の姿であって、信長も秀吉ら戦国大名は自分の縄張りの範疇で
は公儀を仕切るという自覚を持っていた。
武門は男子の跡目がいなければお家断絶。当然である。サムライは
軍人<いくさびと>。いざ、合戦というとき家主<いえのあるじ>は
一個師団の大将。鎧兜に身をつつみ、騎乗し一族郎党(家臣、足軽)
を率いて出陣する。そのために録を食<は>んでいる。女では鎧兜に
身をつつみ戦えない。だから跡目は男子。
武門は、領国の民の安全な生活を維持するための勝つための技術(戦
闘術)の継承である。技術が高まれば手柄を立て武門は榮える。娘
しか生まれなかったなら武術のデキのよい婿を捜す。男系の血筋よ
り技術の継承を重んじた。
サムライ軍団は技術集団である。忠義、忠義とやかましく云うのは
泰平になってからだ。戦国の世では、よりすぐれた者を家主とした。
だから武門の嫡男たちは正直辛かったのだ。町家も家業の継続のた
めの技能が第一だった。そのため娘婿はデキのよい番頭を選んだ。
ここに技術立国の根がある。
この「日本の底力」は「家」が土台としてあったからだ。これは有形
無形で残っている。「家」の延長にあったのが「ウチの会社」。日本を
弱くするには、これを崩壊させるのが一番である。
旧ソ連は日本に革命をおこすには天皇をなくせばと考えたが頓挫した。
隣国の特亜(反日国家)は、「天皇」は無理として「家」の崩壊作戦
と出た。その策が夫婦別姓である。日本の底力の家を壊したいのだ。
この策にまんまとはまるのはサムライの末裔ではない。
余談。技術立国の種は、世界に類のない、古くからの日本独自の刀づ
くりにあると拙者は独り合点している。
もう一つ。正妻からの出生した子は嫡出<ちゃくしゅつ>。男子の長
男を嫡男。または男兄弟の男子を云うが、正しくは長男は総領と呼ぶ。
側室・側目から生まれた子は庶出<しょしゅつ>。庶出の長男を庶長
子。正妻に男子がいなければ庶長子が跡目を継ぐ。
徳川家の相続 二代秀忠を除いて