SAMURAIのいろは 其の<こ>

――首を狩るのは男の役割。首に化粧するのは女の役割

 

人類史上最強の首狩り族のマナーにもう一つ、首化粧があった。忘れていた

から後述する。

狩った首を並べて万歳! と叫ぶだけではなかった。血とドロに汚れた顔、

髪を洗う。髷を結いなおし、薄っすらと化粧をほどこす。その首が名のなる

武将ならお歯黒をする。

敵ながら天晴れに戦った者への礼儀であり、怨念を拭うためでもあった。

首狩りの作法をつくりあげた。だから人類史上最強の首狩り族なのである。

 

石田三成の家臣・山田何某の娘が尼となり、老いて村の子らに聞かせた話が、

その一人が書き残したことから運良く、首化粧の樣が伝わっている。

城の兵はみな、関ヶ原合へ向かい、残っているのは女、子供だけ。関ヶ原を

敗走した軍は、城の近くで応戦している。女たちは天守閣で鉄砲玉を鋳造し

ていた。少女だった尼は、母と一緒に天守閣に登った。そこに見た光景は…

…。

女たちが敵の生首に化粧し、歯にお歯黒を塗っていた。

「お歯黒は名のある武将がするものゆえ、恩賞もよいですから、首を討取っ

た兵から頼まれるのです」

母は、あっさり、そう云った。

自分が狩った首に歯にお歯黒を塗っておいてくれ、と武士が頼みにきていた

のだろう。負け戦さ必定で恩賞はないことはわかっている。死ぬ覚悟である。

が、せめて最期は敵の名のなる武将の首を狩ったと、華々しく散りたかった

のであろう。これがサムライである。

 

母もその作業を始めたので、少女も手伝った。生首は重かった。形相も凄ま

じい。なるべく見ないようにして歯に墨を塗っていった。そのうち、だんだ

ん慣れてきて、恐ろしさもなくなっていった。その夜は、生首に囲まれ寝た。

籠城戦では首化粧は女の仕事になっていたのだ。

少女の母たちは、自分の夫の首も、どこかで化粧されているのかと脳裏に過

ぎったろう。また自分の夫、父、兄の首を化粧している女のことも。そうい

う思いがあったから、これは女の、妻の仕事としてきたのだ。

ここまで見ないと戦国の世の武士の女は見えない。

 

夜が明けに合戦となり、少女のとなりにいた弟の胸に銃弾が貫通。弟は目と

口を開いたままビクビクと痙攣し、そのまま絶命した。城外にいた父から落

ち延びる手配から矢文がきた。母ともども無事、城を抜けた。

 

余談。

戦場で首を狩ると軍監に届けを出す。軍監は、誰がどの首を持ってきたかを

「首帳<くびちょう>」記す。これが論功行賞のときの勤務評定となる。

大坂の陣でのエピソードが残っている。某武士が、最初に首をもってきて、

「一番首なるぞ。記帳お願い申す」と。軍監は「心得た」とだけ答えて、記帳

しない。武士は再三「一番首だ、記帳しろ」と叫ぶが、軍監は「心得た」とだ

け。一番首という証拠がないからだ。この後から首を持ってきた者がまた「一

番首!」と云うかもしれない。

一番首をとったなら、近くの兵に証人になってもらわなくてはならない。修

羅場の中で、その証人を捜さなくてはならない。配下の小者などの身内では

だめだ。

おわかりだろう。命のやりとりの最中に、証人も捜さなくてはならない。自

軍が勝つか負けるかより、名のある武将の首を狩ることの方が大事だった。

これが首狩り族の証である。また、己の名誉にこだわる超個人主義者であっ

た。ここまで見ないとサムライの実相は見えない。