SAMURAIのいろは 其の<め>
――長男世襲で次男、三男らは惨めであったのウソ
サムライ時代小説に家督は兄の長男が継ぎ、分家(独立)もできず、親や兄の家に居候している次男坊、三男坊らの
「部屋住み」「厄介伯父」が出てくる。一生、父・兄の屋敷の一室住まい。甥・姪から「オジサン、お仕事しないの」
と嫌味を云わわる「厄介伯父」となる。
運良く婿養子になる者もいるが、そうでなければあれば、武芸の才を活かして道場をひらく。
この手の時代小説は多い。
戦国時代は合戦の日々。武勇に富んだ男子が世継となる。戦<いく>さ下手の長男が御屋形様(棟梁)となったら一
族郎党が亡びる。次男、三男が長男より武勇に富んでいたら長男に代わって世継となった。そうでなければ家来衆が
納得しない。無能の指揮官の下で戦えるかと。
戦国の世、織田家(信長)、伊達家(政宗)のような兄弟による相続争いはよくあった。結果、権謀術数にも長けた
者がリーダーになった。
が、大阪の陣を終えると、世は百八十度転換した。武士の棟梁となった徳川家康が平和宣言した。「脱合戦」宣言で
ある。平和宣言・元和偃武の理論バックボーンが儒教の一つの朱子学。乱世に終止符を打つためだった。朱子学が江
戸の武士の必須となった。
まずもって主君への忠義を第一とする。下克上などもってのほか。つまり、戦国の世の「臣、臣たれば君も君たれ」
の、家臣にふさわしい君となれでなく、「君、君たらずとも臣、臣たれ」。つまり、バカ殿様でもガマンし、よく勤め
よ。百八十度の転換。
が、人は簡単には変われない。「臣、臣たれば君も君たれ」の戦国の風潮は江戸の初期まで残っていた。それが「御
家騒動」のもととなった。結果、御家取り潰し。家来衆は無職となりハローワークへ。が、仕事は見つからない。
なにせ本職の合戦がなくなったのだから。
いつしか家来衆も「お家大事」となり、兄弟の相続争いを起こさせないため長男を世継と決め、次男、三男らは冷や
飯い、飼い殺しとなった。「部屋住み」「厄介伯父」は江戸の特産物であった。
武士は御家大事でマチマチとした城勤めで汲々とし、片や町人には腕が思う存分に振るえる時代であった。
この町人力の源は「家職」。家業である。社会を構成するための一員として責務を負うプライド。武士の家業は合戦。
合戦がなくなり元気がなくなった武士に代わり町人が元気になった。
うまい醤油なら〇〇屋。上等なろうそくは〇〇屋。切れのよい包丁は〇〇屋など喜ばれる製品を何代も作り続けるこ
と。このプライドである。これら技術は「家」で切磋琢磨され継がれていった。
親が死んで子供は五人いるから資産を五等分したら、この老舗は絶える。要は技術・技が絶える。
世襲は悪だとする移民国家のアメリカに負け植民地化され、これに感化された。世襲は悪だと煽るのが正義と勘違い
した輩が時代小説家にもいて次男、三男は悲劇の人となった。
実相は違う。江戸の世の長男、次男、三男も戦国時代でなくなったことを肌身で知っていた。だから長男世継を不条
理だとは思っていなかった。御家存続のためである。長男は弟たちに負目を感じていた。「すまぬ」と。
屋敷の主は兄であるが、屋敷の名義は何々家。つまり先祖の功績で幕府から預かり借りているもの。兄だけの屋敷で
はない。
自分の食う米も先祖の功績で自分の分は幕府から出ていた。兄に食わせてもらっているのではない。
非常時、合戦になれば兄と一緒に家の旗印を掲げ戦うとの建前があるからイジケルことはない。「武門」がわからな
いサムライ時代小説作家は、いまの相続税が生まれた時代の感覚で次男、三男坊を描くから冷や飯いとなる。たぶん、
「家職」のプライドがわからぬ町人小説作家もいることだろう。