SAMURAIのいろは 其の<し>
――日本刀をみればサムライの心がよくみえる
年改まり、NHK大河ドラマも「平清盛」となった。
公家(貴族)の用心棒から政<まつりごと>を仕切る武士への変貌の魁となった平清盛。武士の興りが通奏低音にある。
反日韓国(朝鮮)の常套句である天皇を「国王」とする呼称に反旗が揚がっているが、それはさておき、公家の為政者としての欺瞞をあそこまで、あからさまに画いたのは大河ドラマではじめてであろう。
殺生をすると地獄へ堕ちるとする仏教に感化された公家衆は、地獄に落ちたくないから盗賊の処刑を用心棒・番兵の武士に肩代わりさせておいて、血に汚れた武士を不浄な者扱いした。
本題に入る。
武士は公家に変わり、治安、行政、司法(裁判)を仕切るようになってから、武士の本分である人を殺める殺生に悩み始めた。いや、その正当性を理論武装したくなった。
江戸の世、武士は殺生は合戦のみだとし、罪人処刑は非人にさせた。首切り役人の八丁堀は正式な武士ではなかった。明治になる士族とはならず士族と平民の間の卒族。足軽も同じ。切腹の介錯役は処刑者ではない。早く絶命させるための武士の情けである。
余談が過ぎた、本題へ。
日本刀に彫り物がある。平安時代の末からはじまった。平清盛が威勢を振るう頃か。
剣に霊性を宿らせるためだ。はじめは龍であった。要は蛇。古代人は蛇の生命力に魅入られていた。蛇の生命力を我が身にもやどらせたかったからだ。三種の神器の剣は蛇の化身である。
次に蛇だけから剣に蛇が絡む図となった。剣に巻きついた黒龍が剣を呑む姿をした不動明王の化身の倶利迦羅<くりから>不動明王。衆生を救うために忿怒<ふんぬ>の姿に変え、右手に悪魔を討つ剣を持ち、左手に万民を救う羂索<けんさく>を持つ。鎌倉武士の為政者としてのエートスであった。
乱世となり霊的な神聖文字である梵字が増えた。武士にも仏教が根付いてきたと同時に乱世の尽きない殺生に心悩ますようになり、仏に加護を求めるようになった。
合戦が皆無となった江戸時代。松竹梅や、人物名、動物などが彫られた。まさに天下泰平。明治の新々刀時代から彫りはなくなった。あっても懐古趣味。剣の霊性は消え失せた。
刀の時代区分。上古刀→古刀→新刀→新々刀→現代刀。
日本刀と称される湾刀が出現した以前を上古刀。湾刀となった平安中期から鎌倉、室町、安土桃山のまんなかあたりを古刀。関ヶ原の戦いの前後あたりの慶長から江戸の中期の天明、寛政までを新刀。そこから幕末を経て、明治中頃、日露戦争前あたりまでを新々刀。
武士がいなくなってから現代までを現代刀。つまり、平成の御世がかわっても武士がいない世の日本刀は何百年たっても現代刀。
日本刀は武士の精神史である。