武士とは何者であったか

 

前文

航空自衛隊連合幹部会機関紙「翼」(早春号 平成19年3月)に寄稿した

拙稿である。すでに新刊も出たことからHPへの転載の承諾をいただき、煙管のけむりに載せる。

 三人の孫の「奉公人」となり、ゆっくり煙管をふかすゆとりもなくなったせいで、日本武道具さんにも、ついご無沙汰してしまうといったわけからである。それゆえ2回に分けることとする。2回目の掲載時期はあるじにお任せする。

 

武士とは何者であったか(其ノ一)

 

新年の松の内、穏やかな須磨の浜辺で孫たちと遊んだ。宿から近い須磨寺も訪れた。小生の最初の本の記憶は、この須磨の浜辺での平敦盛(あつもり)と熊谷直実(なおざね)の一騎打ちの絵本であった。色鮮やかな鎧兜の二人の武者が組み合っている一頁を、いまでも鮮明に想い出すことができる。

謡曲、浄瑠璃、歌舞伎で連綿と伝えられてきた源平武者のエートスや日本人の規範意識は、敗戦翌年生まれの幼な児にも、絵本を通じ心のDNAに響いたのであろう。

宿で寝る前、孫たちが読んでとせがんだのが「桃太郎」であった。爺に読んでもらおうと持参していた。

神武天皇の頃、百済の王子が、いまの岡山、吉備を占領し、ここを拠点とし他の地までも侵略した。人々は吉備を鬼(き)の城(じょう)と呼んで恐れた。

孝霊(こうれい)天皇の世になり、この鬼の城征伐が決行され、その大将となったのが孝霊天皇の男児、吉備津彦命(きびつひこのみこと)であった。日本の代表的おとぎばなしである桃太郎のモデルは、この吉備津彦命とされる。

 敗戦後、「桃太郎」は国定教科書から消された。だが、敗戦60年後の幼な児にも語り継がれている。孫たちも、小生と同じように、男の子はいつか悪と戦わなくてはならないことを『桃太郎』から学ぶのだろうか。

 

 プロレスから格闘技

 おとぎばなし、絵本を卒業した頃、まだ珍しいかったテレビの中に新しい悪を見つけた。「外人レスラー」であった。レフェリーの目を盗んで反則ばかりする外人レスターに対して、じっと耐え、そして最後は正義の鉄槌を下す日本人レスラー。少年は生(なま)の勧善懲悪を目の当たりにし喝采した。同じように大人の男たちも喝采していた。

 忘れていたプロレスと再会したのはプロレス誌の編集者となったことからであった。そして、大人たちまでもがプロレスに夢中になっていたことが理解できた。力道山プロレスは敗戦国兵士の敗者復活戦であった。「物量戦では負けたが、一対一の素手なら日本兵は負けなかった」――視聴率55%の中身は雪辱戦のファンタジーであった。

日本は世界に冠たる格闘技文化国である。レスリングを基とした外来格闘技を一朝一夕で日本のものとでいたのは柔術の伝統技「受け身」があったからだ。相手の技も受けなければならない興行格闘技プロレスの基本のキは受け身にある。現在の日本のプロレス技は本家アメリカをはるかにしのぐ。

 敗戦国民を沸かせたプロレスは、その後“八百長”の名のもと市民権を外された。が、そのプロレスを支えたのは少年たちであった。アニメでない実の肉体をもった強いの男たちがいた。プロレス誌の編集の任について、驚いたことは少年たちが流血戦に血湧き肉躍らせていることだった。少年向きの格闘演劇とタカをくくっていたが、ちょっと待てよと思い始めた。

 ブッチャーの額に色紙を当て“血拓”をとる悪童たちがいた。そうか、彼らは血を流すことを知らなかったのだと合点した。我らの頃は喧嘩ざたで血を流すなど日常茶飯事だった。喧嘩ご法度の世に生まれた子たちであった。スポーツクラブ、学習塾の対極の世界がプロレスであった。

 「身体の喪失」(『バカの壁』養老孟司)の少年世代が青年になったとき「身体の復権」を願うようになる。そんな予感があったのだろう、『週刊プロレス』を創刊し3年後、『格闘技通信』を創刊した。

第一の理由は、日本は格闘技王国であると気づかせてくれたプロレス少年たちにプロレスを観るだけでなく、リアルな格闘技を身につけさたいと願ったからだ。柔道、空手、ボクシング、キックボクシング、サンボ、中国武術、テッコンドウとあらゆる格闘技を取り上げた。

 『格闘技通信』の通奏低音に「路上の有事」を流していた。「いざというとき、キミは暴力に立ち向かい勝てるか」ということだ。柔道の組み手だけでよいか、空手の打突だけでよいか。実戦は競技ではないとメッセージしたのだ。時代の胎動とは不思議なものだ。とき同じくして、一ジャンルの格闘技でなく、空手、キックボクシングに投げ技を取り入れたり、柔道で禁じ手となった関節技を取り入れたりする格闘技を提唱する格闘家が出現し始めていた。いまあるプロ総合格闘技の源流であった。

 自衛隊に徒手格闘がある。日本拳法を基にあらゆる格闘技を編んで作られた実戦格闘技である。日本拳法は明治期柔道(柔術)まであった当身の技の消滅を危ぶみつくられたものである。柔道、空手が学校体育に入り、競技化が進むなかで当然、実戦の牙は削がれていった。この亜流が武道本来の「何の為に戦うのか」を見えにくくしていった。

                 次回(其ノニ)につづく。