武士とは何者であったか

 

前文

航空自衛隊連合幹部会機関紙「翼」(早春号 平成19年3月)に寄稿した

拙稿である。すでに新刊も出たことからHPへの転載の承諾をいただき、煙管のけむりに載せる。

 三人の孫の「奉公人」となり、ゆっくり煙管をふかすゆとりもなくなったせいで、日本武道具さんにも、ついご無沙汰してしまうといったわけからである。それゆえ2回に分けることとする。2回目の掲載時期はあるじにお任せする。

 

武士とは何者であったか(其ノ二)

 

 格闘技から武道へ

 朋友、初代タイガーマスクである佐山聡(さとる)さんの口癖は、「リングで強くても、リングを降りて強い奴はいない」である。「本当の強さとは何か」を指しての至言である。

抜群の身体操作力を持った格闘好きな青年は、ある日突然、虎のマスクを被らされた。そして、一夜にしてスターとなった。しかし、本当の強さとは何かを求めてのプロレスラーから格闘家への軌跡の終着点は武道であった。

 「暴力に立ち向かい勝てるか」と問うとき、技術だけでなく己の確固たる正義を持っていなければ実戦では通じない。己の命、身体を賭すことになるのだから。小生の編集士としてのプロレス→格闘技の軌跡は、奇しくも佐山さんと同じ、武道への道であった。

 平成10年、自らの社を興し、『武道通信』を創刊した。「武道精神ヲ以テ 今日ノ日本ヲ生キル」と標榜した。当時、「新しい歴史教科書をつくる会」が始動した頃であり、創刊当時、小林よしのり氏、西尾幹二氏らにも登場願った。書店へ持っていくと右翼雑誌と評された9年前と比べると隔世の感がする。新渡戸稲造の『武士道』が復刻され書店に山積みにされるようになったことも、その証左であろう。

 『武士道』はキリスト教徒の新渡戸稲造によって明治33年に英文で書かれ、フィラデルフィアで出版された。日本人にもキリスト教と同じ規範、道徳があると世界に発した一級のプロパカンダの書となった。

 武士道という言葉は江戸初期に現れたが通称ではなかった。武士の間では通念としてあったが、他者に自己説明する概念はなかった。その意味で武士道を発見したのは、皮肉にも明治期のキリスト教に感化された若き教徒、新渡戸稲造、内村鑑三らだった。異文化キリスト教と対峙したとき、身をよじる相剋の果てに見出した自己証明が武士道であった。

 内村鑑三はいう。「我ら人生の大抵の問題は武士道をもって解決できる。正直さ、高潔さ、約束を守ること、人の窮地を見て喜ばざること。これらにことはキリスト教を煩わす必要がない」。

 『武士道』の世界的なベストセラーが多くの日本人に読まれたのが昭和13年、岩波文庫(矢内原忠雄訳)となってからであった。とき、シナ事変に突入していた。奇しくも『葉隠』(山本常朝)の初めての解説書が出たのが明治38年、広く読まれたのは『武士道』と、ときを同じとする。しかし、この二大武士道書は異なる二つ武士道といえる。

誌面の都合で簡潔に述べるが、『武士道』は近世武士道、儒教武士道。『葉隠』は中世武士道、仏教(禅)武士道である。戦国の名残りを知る武士と幕末生まれの武士との違いである。『葉隠』は殿様と家来の戦時における「一味同心」がよく語られ、『武士道』は平時の統治者としての道徳規範が核となっている。もっと平易にいうとすれば『葉隠』は犬死を恐れない、いや「犬死などということは上方風(江戸風)の打ちあがりたる武士道なるべし……」と推奨する。一方、『武士道』には犬死を蔑視し嫌う治世者の姿がある。

 二つの武士道の是非を問うのではない。武士が誕生した源平、鎌倉時代から江戸までの700年間、その時々の武士の役割があり気質があったろう。それより近代を成し遂げ、欧米列強と覇を競うまでになった昭和のそのとき、なぜ、この二つの武士道が、多くの日本の男たちの心を捉えらかを考えた方が意味あることだ。その論考は、また機会があった折に。軍部が戦時高揚に利用したなどの似非平和主義者の説は論外である。

 

 平成武士の心構え

 武の国の伝統を持つ、平成の御世の我らが、武士(サムライ)たらんと願うとき、何を規範に、何をすべきかは『武道通信』の通奏低音である。佐山聡さんが主催するプロレスと武道のコラボレーションを意図するリアルジャパン・プロレスで、昨年10月、撃剣試合が行われた。刃引きした真剣での試合である。当然、考案した防具を付ける。

試合の開催に先立ち、小生はリング上から観客にこう語った。武士とは……を探るとき、武士が武器をどうのように操ったか、武士の魂とした日本刀をどう操作したのかを知ることで、武士とは何者であったかをわかろうとする試みであると。

 剣友である鎖帷子剣士(匿名)と竹刀剣道で失われた日本刀の操作を体感すべく稽古を始めた。日本刀の斬れ味はよくわかっている。刃引きといえ対峙すればやはり怖い。「白刃の下をくぐる」の語感が体感でき、西南の役で抜刀隊に参戦した高名な流派の剣術指南役が「ただ飛び込んでいくしかない。技もへったくれもない」と証言していた古書の一文に始めて納得がいった。

 武士(もののふ)を武士道書の中から読みとるだけでなく、鎌倉武士が弓をどう操作したか、戦国武士が槍をどう操作したか。武士が命を託した “商売道具”を体感することから、この日本に出現した武士とは何者であったかを探ることをしたい。それが平成の武士たらんと願う者の、 “戦前”の、いまの心構え、覚悟としたい。