幕末の軍歌「トコトンヤレ節」は日本近代の序曲であった 

 

剣持直之のペンネームで<別冊宝島>の『軍歌と日本人』200775日発行)

に掲載されたものを版元の了解を得て、転載する。

 

◎「トコトン」は踊りの足拍子、太鼓のリズム

ときは戊辰戦争。ところは駿河の東海道。錦の御旗を立てた官軍は江戸

城めざして進んでいく。太鼓と笛の音に混ざって兵隊たちは声を揃え、

何か歌っている声がする。街道沿いには物見高い町人、農民が溢れてい

た。さすが武士の姿はない。駿河は徳川幕府の要、譜代大名の藩である。

この国は西洋と違い、源平の世から町人には軍務の責任はなかった。

農民も戦国時代と違い江戸時代から責務を逃れた。軍事はもっぱらサム

ライオンリー。他国軍が攻めて来ても傍観者、観戦者でいられた。

これら逸話は源平の世から関が原、戊辰戦争と枚挙にいとまがない。

これは日本に制度として奴隷制がなかったことに起因する。これが敗戦

後の平和念仏教大布教の因であり、この民族のDNAである。たいした

知恵も力もない日本の左翼の似非反戦思想のせいではない。

 さて町人、農民が耳を澄ますと歌声がはっきりと聞こえてくる。

宮さん宮さんお馬の前に ひらひらするのは何じゃいな トコトンヤ

レ トンヤレナ 

あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じゃ知らないか

トコトンヤレ トンヤレナ(一番)

 官軍とは薩長連合軍である。駿河の民に薩摩弁、長州弁が聞き取れただ

ろうか。だが、トコトンヤレ トンヤレナ」の言葉、調子はよくわかった。

十返舎一九著『東海道中膝栗毛』の中に囃し言葉として「トコトン」が出

てくるぐらいであるから知っていた。踊りの足拍子や太鼓のリズムを表す

とき使う。

 

 「錦の御旗じゃ知らないか」――庄屋、郷士は知っていたかもしれな

いが、江戸時代の大方の庶民は錦の御旗も、その故事なども知らなかっ

た。当然、「宮さん宮さん」とは何者かも知らない。「宮さん」とは戊辰

戦争の東征大総監、有栖川宮熾仁(たるひと)親王である。公家の中の

強烈な尊攘論者だった。

「トコトンヤレ節」、俗名「宮さん宮さん」の歌詞は有栖川宮熾仁親王

が錦の御旗を立てて進軍する様子を歌ったものだ。

作曲は幕末・明治の軍学者・大村益次郎、作詞は松下村塾卒業生、品

川弥二郎。長州コンビと伝えられているが、真実やいかに。

 

 大村益次郎は蘭学を学んでいたし、シーボルトの娘とも交流があった。

ましてや西洋砲術の大家、西洋音楽は聞きかじった気配は充分ある。

どこそこかの国の曲を和風にしたやもしれぬ。作詞は品川弥二郎でなく、

芸妓・中西君尾の説もある。「トコトンヤレ」は君尾の発案であろう。

まあ、二人が色里の床の中でのやり取りでできたとする方が自然だ。

 

◎黒船は軍楽隊も連れてきた

トコトンヤレ節」より15年前の嘉永6年(1853)、太平の眠りを醒

ました黒船が浦賀に現れた。実は、この黒船、大砲だけでなく軍楽隊

も積んでいた。

久里浜での大統領親書受け渡し式のとき、軍楽隊がアメリカ国歌を演

奏した。といっても「星条旗」ではない。このとき国歌はまだきまっ

ていなかった。国歌扱いとしてである。このとき演奏されたのは

「ヤンキー・ドゥードゥル」。日本では「アルプス1万尺」で知られて

いるメロディである。国歌でなく愛国歌の一つであった。のち国歌と

なる「星条旗」も、その一つだった。この演奏は鼓笛隊であったが、

大小のラッパ、シンバルもあった。

 翌年の来航では横浜に上陸。今度は3楽隊がやって来て華やか交歓会

が行われたとある。幕府の接待役の一番年若い何々守がすっかり気に入

ってしまい、手足で調子をとっていたとの資料も残っている。西洋音楽

ファン第1号であった。

 さて、「トコトンヤレ節」である。真の作曲家、作詞家が誰かを解くの

が本題ではないし、ペリー艦隊の軍楽隊でもない。「トコトンヤレ節」の

日本の軍歌としてのポジションである。ただ、黒船来襲で、幕府の重鎮

だけでなく薩長の重鎮も、このとき西洋音楽、軍楽隊の曲を聴きていた

ことは重要なことなどで記しておいたのだ。それと日本人は鼓笛隊が好

きだったとのあちら側の証言もあった。

 

    近代化の第一歩「行進ノススメ」

近代戦争ができないと支那のように欧米の属国になるとのサムライの

危機感から明治維新が成った。近代戦争とは国家と国家の総合戦であ

る。国民皆兵による軍隊で町人、農民を急ぎサムライにしなくてはな

らない。まずは「学問ノススメ」より「行進ノススメ」であった。

それまでの日本人は近年、流行ったナンバ歩きであった。これでは

ダメだ。大村益次郎は、まずは西洋式軍隊の行進を日本人に習わせ

ようとした。急に西洋リズムは無理だ。「トコトン」なら馴染みがあ

る。そう考えたのだろうが、軍歌第一号は大村益次郎と品川弥二郎

だけの手柄だけであるまい。誰とも云えぬ当時の気分が作らせたの

だろう。

平成の世の我らも、当時の近代への夜明けの気分で、二番、三番を歌

ってみよう。トコトンヤレ節」でHP検索すれば曲は無料で聴ける。

一天万乗の 一天万乗の ミカドに手向かいする奴を トコトンヤレ 

トンヤレナ 

ねらい外さず ねらい外さず どんどん打ち出す薩長土 トコトンヤ

レ トンヤレナ

音に聞こえし 関東サムライ どっちに逃げたと問うたれば トコト

ンヤレ トンヤレナ 城も気概も 城も気概も棄てて吾妻へ逃げたげ

な トコトンヤレ トンヤレナ

 後年の「とことん」の語源は、この「トコトンヤレ節」に由来する。

「トコトンヤレ節」は日本初の軍歌行進曲であり、日本近代の序曲であ

った。「とことんやれ、とことんやれ」とスタール銃を担いだ薩長軍は

代に向って行進していったのだ。