いまの東京のここは、四百年前のお江戸では何々藩の大名屋敷があった――という本
も出された。近年の武士モノ時代考証ブームの流れであろう。出版界は長きにわたる不
況の中、武士モノが続々、刊行されるのは“柳の下のドジョウ”の気配がすると皮肉を
云ってもお叱りを受けないだろう。
一ヵ月ほどで「さむらいの作法」と云ったものの草稿を挙げた。そのわけはこうだ。
武士モノ時代考証ブームは諸手を挙げ賛同する。が、その内容を知るにつけ、「ちょ
っと待ってくれ」と手を挙げたくなった。さむらいの収入はこのくらい、何を食って
いたか。切腹の作法は……。これでは<武士の実像>はわからない。
武士の佇まい、その日常の作法は、武士の本分「常在戦場」「臨戦態勢」からきてい
る。茶道の方はご存知であろう。茶碗をまわすのは毒が塗られているかどうかを、そ
れとなく調べることからできた作法である。刀の鞘にある笄(こうがい)に銀製が多
いのは箸として使うとき、銀が毒によく反応するからだ。
他家を訪れても、「もし、ここで襲われたら」と想定する。しかし、露骨な振る舞い
をしたら無礼になる。この二律背反が、泰平の世のさむらいの作法の骨幹にある。
昨今の武士モノ時代考証本は、ここがスッポリ抜け落ちているから、さむらいの実像
が見えない。「常在戦場」「臨戦態勢」の心構え、その仕度をしておくことは、この国
のいまの国法では悪である。この“悪法”の下で何の義憤ももたない、さむらいでな
いからして、表面のみの作法、生活様式だけの武士モノになる。
当HPを訪れる諸氏は、己の身体を鍛錬し、非常事態の折りは身体とその操作を武器
とするプライドをお持ちの方々であろうからおわかりいただけることだろう。
このことは武道通信HP「草莽奮戦記」「武道通信かわら版」で綴ってきた。当HP
から一足飛びで届く、お読みいただけたら幸い。8月に刊行されるだろうことから本
稿は<宣伝>に努めたい(笑)。
「士農工商」は古代中国からの借り物とはいえ、島国日本の重要な産業である漁業の
担い手「漁民」が消えたのか? なぜ大小の二本差しが定めとなったか? 武士は為
政者、権力者なのに、その多くの武士は貧しかったのはなぜか? 大地主の農民、裕
福な商人は、ちっぽけな藩の大名より金持ちだった。
ここに江戸幕府のしたたかさがあった。ここを踏まえておかないと江戸時代の武士、
さむらい像は見えてこない。
浅田又左衛門大輔なるさむらいを舞台回し役に登場させた。上役の急な呼び出しで出
掛けるシーンから始まる。とりあえず、目次を列記しよう。
第一章 急な呼び出しで屋敷を出る 一、刀は婦女子に直にさわらせない 二、
刀の二本差しが定番になったのは江戸時代から 三、武士は袴を絶対に穿かな
くてはならない 四、刀の差し方でひとつで一命を落とす
第二章 急ぎ市中を歩く 五、さむらいの左利きは御法度 六、両手を振り歩
くのは、さむらいにあらず 七、雨が降っても傘はささない 八、市中の騒ぎ
は避けて通る 九、漁民が消えた日本の「士農工商」 十、真剣白刃取りは講
釈師の創作 十一、外出時の持ち物
第三章 上役の屋敷を訪問する 十二、武家屋敷に表札はない 十三、刀は右
膝の脇に置いて座る 十四、暗闇には伏兵が潜んでいる 十五、厠の中で敵に
襲われたら 十六、花を活けた竹筒、小枝も武器となる
第四章 旅に出て旅籠に泊まる 十七、柄袋は一瞬に外せないと命取り 十八、
旅先の旅籠に刺客が襲う 十九、暗闇剣法、秘伝「座さぐり」 二十、下緒で
槍をからめ取る秘伝「槍止め」 二十一、家柄の格式厳守は武士のさだめ 二
十二、忘れられた「下緒」の使い方 二十三、さむらいは右胸を下にして眠る
第五章 刀の話を総領に聞かせる 二十四、刀の手入れ。最大の敵は錆 二十
五、打粉は油を完全に取り除くため 二十六、太刀から打刀の時代へ 二十七、
いまも使われる日本刀が生んだ言葉
第六章 戦国の世に思いを馳せる 二十八、「正座」は五感を研ぎ澄ます 二
十九、さむらいの髪型はなぜ「月代」なのか 三十、甲冑の不自由さが日本の
武術を生んだ
第七章 武芸十八般に挑む 三十一、表舞台から去っても弓術は武士の表芸
三十二、竹刀剣道で剣術は遠くなりにけり 三十三、頬当ての火縄銃が伝来し
た幸運さ 三十四、日本の武士だからこそ生まれた槍 三十五、騎乗武者は敵
の顔と喉元を狙った 三十六、柔の極意は殺活法にあり 三十七、救急法がで
きないなら武道家失格
第八章 研師に総領を連れていく 三十八、日本刀はなぜに武士の魂となった
か 三十九、刃文も拵えも粋を極めた日本刀 四十、天下人が愛でた名刀伝説
四十一、日本刀、その切れ味の真実
九章 謎の浪人と出会う
四十二、将軍直々に密命を受ける御庭番 四十三、据物斬りと真剣勝負は別
四十四、さむらいの妻は家門繁栄を担う柱 四十五、さむらいは出された物は
黙って食べる 四十六、鷹狩で軍気分を懐かしむ 四十七、さむらいの子弟教
育は文武両道
第十章 切腹の検使役になる 四十八、斬る者と斬られる者、介錯人の作法
四十九、切腹の作法どおり、お見事なご最期 五十、さむらいはどこへ行くの
か
八章はまるごと日本刀を綴った。日本刀が武士の魂となったのは鎌倉時代にさかのぼ
るが、泰平の世ゆえ、江戸のさむらいは日本刀を武士の象徴とする意識は強かった。
昨今の武士モノ時代考証本には、日本刀に関して記述がまったくといってないには驚く。
さむらいの本業の武術にも無関心である。著者らは剣も弓も手にしたことのない御仁
たちであろうか。七章ではさむらいが日々、鍛錬していた武術を綴った。
列島である地理の定めから生まれた「一国一文明」の日本という風土から<武士とは
何者であったか>を考察しながらさむらいの作法を述べた本は、いままでなかった。
そう断言できる。
そうそう、「日本刀 日本人の自画像」が五章でしばし止まっていた。これも併せ
日本武道具さんに送ることとする。六章は「刃文」である。