チャンネル桜「魁! 武道通信TV」独りごと <一>
格闘技通信が月2回から月1回になったと表紙に謳っていた。
「魁! 武道通信TV」の記事紹介に、週プロと格通を使わせてもらっていることから週プロ、格通がチャンネル桜のプロディサーと拙宅の双方へ届けてもらっている。
創刊1年目ぐらいであろうか。「格通は将来、週刊誌になる」と、谷川(二代目編集長)をアジっていた。確信していたわけでない。願望に近いものを谷川への<贈る言葉>とし云ったのだ。
『格闘技通信』は、週プロ読者の中で格闘志向の強い若者たちを引っ張っていこうとしたものだ。猪木新日ファン、その核といえるUWFファンであろう。真に強い者は総合格闘技の達人である。打突、投げ技、絞めの格闘技の知識を持てとプロパカンダした。その意味するところは、プロレスファン・オンリーの<見物人>から自らが格闘技を試してみよとのプロレスファン脱皮本であった。
『週刊プロレス』から『格闘技通信』へ脱皮する<芽>は育っていると確信していた。
「もう、週プロはプロレスファンの手に戻そう。プロレスでの自分の役割は終わった」。格通を週プロ増刊で創刊のときの偽らざる気持であった。
ターザン山本さんの仮想追悼本という本が数ヵ月前に出た。インタビューの依頼を受けたとき、その昔、武道通信に(紙プロ社長の)山口君に原稿を依頼したことがあったことを思い出し、業界の仁義として受けた。
週プロが怪物に育っていった下地は、「プロレスファンでなくしてプロレスをただ者でないと見破った編集長とプロレスファンの良質なポピュラリズムを持った山本さんの出会い……」と述べた。
<プロレスがただ者でない>とは、どういう意味なのか?
近年、プロレスの現状を憂うことから「昭和のプロレス」が標榜されている。週プロの記事の中にもたびたび見られる。では、昭和のプロレスとは何であったか?
(つづく)