「正義は力なりき。力は正義なりき」

 チャンネル桜「魁! 武道通信TV」独りごと <二>

 

 

敗戦直後のプロレス、力道山プロレスは敗戦国民の敗者復活ファンタジーであった。科学力では負けたが、人間力では日本は負けない。それをプロレスがリングの上で見せてくれた。

 

 戰爭は「正義は力なりき。力は正義なりき」の、命をかけた部族、国家間の戦いである。日本の正義は敗れたことから悪者となった。「力無くして正義を断行、証明することはできなかった」と悔やんだ。プロレスのリングで証明される「正義は力なりき。力は正義なりき」に喝采を送った。

 

 男子少年世界の劇画、テレビも、これがテーゼである。負けてしまえば悪が栄える。敗戦直後の敗者復活ファンタジーは戰爭を知らない、正義の戦いを放棄させられた時代の少年たちに引き継がれていった。

 

 過日の「魁! 武道通信TV」で。プロレスとは形而上学的に云えば「正義は力なりき。力は正義なりき」なのどだと、つい口がすべった(笑)。

 プロレス衰退と同時に「昭和のプロレス」と云う文言が聞かれる。力道山、そして馬場・猪木全盛時代はよかったなあと業界関係人の吐息だろうことは想像するに易い。回顧趣味に浸る、これら人たちにひとこと、苦言を呈したいと常々、思っていたから、つい出たのである。 

 

 おちゃらけプロレス、イケメンプロレスもプロレスだ! とそれなりに客を集めているそうだ。たぶん、『格闘技通信』で置き去りにしてきた商家の丁稚、女中遺伝子の末裔が楽しんでいるのだろう。「正義は力なりき。力は正義なりき」を証明するため日々、鍛錬を怠らないサムライ遺伝子とは無縁である。

 

 プロレスに何の興味もなかった編集長が、<プロレスがただ者でない>と見破ったのは、「正義は力なりき。力は正義なりき」を謳う格闘演劇が、憲法九条を国是とする中で育った少年たちの心を捉えていることだった。