久しくご無沙汰しておった。その<云いわけ>はオイオイと。
先の5日の武道通信かわら版で、「小柄工房」十周年のお知らせをした。もう、十年た
ったかと感慨深かった。小生、「小柄工房」一期生だった。
十年前、自分で火炉(ほど)の中で赤く焼けた刀身を水桶に入れ、「ジュー」と焼き入
れし、「頴」と銘を切ってもらった小柄(小刀)は、守刀(まもりがたな)となっている。
剣を守刀とするのは古く、古墳時代からあり、王朝時代(奈良、平安)には、貴族は子
の誕生に守刀を贈りあった。剣には魔除け、悪霊払いの霊力があるとされてきたからであ
る。
短刀に限ってはいなかったが、後年、さむらいたちが娘を嫁に出すとき持たせたことか
ら短刀が多くなったようだ。
武家の子女が持つ懐刀(かいけん)とは違う。時代劇で帯に差しているのをよく見るこ
とだろが、あれは明治以降、花嫁がした風習を時代劇が借用したのでなかろか。
懐刀は襲ってきた敵と渡り合い、また、自刃するためのものであり、常に懐中に隠して
いるものである。
いまでも葬儀の折、棺桶の上に錦の袋にいれた短刀を置く風習は、かすかに残っている。
これは来世での守刀である。
小生の葬式の折は、他の“差料”と一緒に、棺桶の上に乗せてもらおう。そして、この
小柄を、他の御仁の守刀としてもらえればと、願っている。
二週間ほど前、武州多摩から池袋、日本武道具さんへ出向いた。拙著『使ってみたい武
士の作法』につづく二作目、正月、松が取れて脱稿した「土方歳三、鑑刀(かんとう)
物語」の感想を「小柄工房」の刀工さんに聞くためであった。
前著の「作法」は、昨年の5月ごろから書きはじめ7月に上がった。初稿が上がるまで
に、あっ、あれも書き忘れたと、その昔、読んだ書の文言が浮かんできた。
初稿を戻したとたん、版元さんから次の作をと薦められた。どん底の出版界にあってあ
りがたいことだ。
で、次の作にかかった。何を書くか。テーマは決まっている。「武士とは何者であった
か」。
問題は舞台装置である。
メールマガジン「軍事情報」に拙著の書評が載った。心に滲みた一文であった。一万余
の読者を持つ。ならばと、発行人のご好意に甘え、次の著のキーワードを探るべく「軍事
情報」読者にアンケートをしていただいた。
「あなたにとって、これぞ武士・サムライといえる歴史上の人物は誰ですか?」「武士・
サムライについてもっと知りたいことは何ですか?」「あなたが持っている武士・サムラ
イ像は、何が最も影響していますか? 」「あなたの実生活で、武士・サムライを意識する
ことはありますか?」 など十項目。
歴史・時代小説、映画でつくられた武士像が浮き上がってきた。だが、これは小生の考
える武士像とは違う。時代小説で人気ナンバーワン作家は司馬遼太郎。作品は『燃えよ
剣』。これをキーワードとした。
10月ごろから書きはじめ正月、松が取れて脱稿した。というわけで、ここで当HP「煙
管のけむり」「日本刀」は、気になりながらも、ご無沙汰しておった<云いわけ>を、こ
こで述べておく。
脱稿してから、まずは版元へ送る一方、日本武道具のあるじ、角田さんほか友人、知人
に<サンプル読者>として読んでいただいた。
雑誌、著作の最初の読者は編集者である。編集者は<サンプル読者>である。しかし、
昨今、この定理が崩れ始めた。名編集者群が自信を無くした。世の読者の目線、好みとズ
レができはじめたといっていい。
編集者側からすればミーハー化が日進月歩で進んだ(失礼! 大衆殿)。
いや、冗談である。書籍の位置づけに変化をきたしたのだ。“既成政党”の既得権(経
験&感)では読者の本を求める心理が読めなくなった。タイトルは營業マンか書店の定員
さんにつけてもらった方が良いと、まじめに囁かれている。
拙著の武士の作法に、まさか「使ってみたい」がつくとは思わなかった。切腹の作法な
ど、いまどき使えるものではない(笑)。版元の営業マンが書店の声を拾ってきた結果だ
と判断し、了解した。
それでいいのだ。原稿がは著者と編集者(半分は著者の味方で半分は読者の味方)の手
を離れ、営業の手に渡ったら洗剤、菓子と同じ商品である。(これは言い過ぎか)
編集者、版元の営業マン、そして皆様からの意見に耳を傾けた。
小生、構想を練る内にいつの間にか、刀剣鑑定の鑑方から脱却するつもりが、その<罠
>にはまってしまっていたのに気づいた。これは先の武道通信かわら版で述べたゆえ省
く。草莽奮戦記に「まえがき」も載せた。
「土方歳三からの言伝<ことづ>て――サムライと日本刀 我が心の天然理心流――」
題目を変え、一気に手直しにかかった。それも、やっとおわり、「煙管のけむり」をふ
かしたわけである。
この場を借り、貴重なご意見を賜った角田さん、小柄工房の刀工さんのお礼を申し上げる。
平成二十一年 如月之十六日