サムライJapn、WBC制覇雑記

 

 

 昭和三十年ごろの漫画本に宮本武蔵、佐々木小次郎の対決に模した野球選手が対決する

ものがあった。日本に欧米のスポーツが導入されたとき、当時、唯一のスポーツマンであ

ったサムライの真剣勝負の感性で、スポーツゲームを受け入れた余韻が残っていたのだろ

う。

 

 野球が日本で一番人気のあるスポーツとなったのは、集団的プレーであるものの、ピッ

チャー対バッターの一対一の対決が重要な要素であり、バットという劍に模することがで

きた球技であったからだ。勝負の感情移入できた。

 

 日本でサッカーが野球の座を奪う日が来るとしたら、サムライの精神遺産が消滅すると

きの目安になる。サッカー人気が世界(敵国)との対決のときのみ高視聴率を上げ、国内

戦となると、相変わらず低視聴率であることが、いまだその座を譲ってない証左であろう。

 

 WBC世界一の狂喜は、野球人気復活でなくサムライ願望であることをよく表していた。

 では、いまの世のサムライになるということは、世界共通ルールのスポーツ選手になり、

世界と勝負するということか。いや、その次元ではない。スポーツはあくまで擬似戦争で

ある。

 スポーツの域の精神統一も坊主の域でよい。坊主は殺生とは無縁。殺し合うという場に

おいての精神のあり様が求められる。

 

 「現代社会にあって<サムライ>でありたいとするなら」との題目で、佐山聡さんと小

生の塾が「サムライ塾」開講するためのプレ講習を開く。詳細は武道通信かわら版3月5

日号に記した。

 サムライのゲノム(遺伝子)を秘めていると思われる御仁は、参加されよ。

 

 

 平成二十一年 弥生ノ二十五日