SAMURAIのいろは 其の<と>

 

――武士はヒマだった? いや残業でクタクタだった?

 

むかしのTV時代劇で、武士がさも暇つぶしといった風に、沼とか川で釣りしている情

景があった。たいてい編み傘をかぶっていた。日焼け予防でなく、顔を見られないため

だ。やはり非番といっても、どこか後ろめたかったのだろう。

 

現代の非番の語源は江戸の武士の非番であるが、意味が違う。

ざっと、江戸の武士職制を述べておこう。

 

武士は番方、役方、非役(無役)の三クラスあった。

番方とは戰爭が仕事の武官。役方は行政担当で、書も上手く、算盤もできなければダメ

の文官。非役とは、つまり天下泰平の世では役目がない、仕事はしなくてもよいという

より、仕事が回ってこない武士。天下泰平では戦争がないから兵士(武士)は余る。

 

各藩(国)も江戸の将軍家に見習った職制だった。

幸か不幸かは本人次第だが、江戸に密集していて、どの藩より多かった徳川家家臣の武

士の内、非役は75%もいた。つまり仕事につけるのは25%であった。非役は無職。

碌はもらえるが役職手当がない。

戦国の世は武功によって主君より禄(給料)もらった。天下泰平が、いかに武士のとっ

て不幸であったか。結果、江戸の武士を本来の戦さびとから遠のかせたかがわかろう。

 

それはさておき、勤務は月番制といって一ヵ月ごとの交代、隔月制であった。

これは老中から町奉行の同心、江戸城三十六ヵ所の門番まで同じ。つまり二組に分かれ

交代で勤務していた。実質の勤務は年に六ヵ月である。休みの月は「拙者が今月は非番

で」といった。

 

 拙者、もし江戸の武士になって運良く25%の中に入ったら番方がいい。字は下手だし、

計算もダメだ。とても役方では役にも立たない。番方でも、できたら徒歩<かち>組がよ

い。将軍のボディーガードだ。戦さびとの残された本来の仕事だ。近藤勇も土方歳三もな

りたかったのこれだ。

 将軍のボディーガードといってもそんな多くがゾロゾロしているわけにはいかないから

徒歩組も交代制で、月の内5,6日も出勤すればよい。勤務時間はその時代、また役目に

よって違ったが、大雑把にいえば午前10から午後3、4時まで。

 

 武士はヒマでいいなぁ~と羨むだろう。

が、実は、そうは甘くはなかった。

 

この二組交代性の月番制がクセ者だった。

簡単に述べよう。流行語となった政権交代。これを1ヵ月ごとにやるのだ。引継ぎ手続

きも大変だが、同じ人数、同じ予算でやるのだから、その出来、不出来は将軍、お歴々

に一目で知られることとなる。

だから非番の月も働かなくてはならない。非番の月も残業、残業の部署もザラではなか

ったのだ。うつ病、ノイローゼになった武士もいたろう。

その点、将軍のボディーガードは残業などめったになかったし、将軍のお側に仕えるの

でヒマな上に尊敬されていた。拙者、だから徒歩組がよいのである。

 

蛇足:現代の将軍さまは国民といえる。この理でいえば参議院を廃止し、3、4年ごと

の政権交代があった方がよいかも知れぬ。ただし、国防などの国家戦略の骨幹は同じで

あることはいうまでもない。

                                          平成二十一年師走十六日