SAMURAIのいろは 其の<る>

――武士の躾けで、正座がやかましかったのはわけがある

 

 拙者が幼稚園児だったとき、墓地を挟んでの隣の幼稚園児とよく威嚇ごっこの“サルの

喧嘩”をし、墓石を盾に石の投げあつた。そりゃ、危なくて子供ながら血が騒いだ。が、

その報いは、悪たれガキどもは暗い本堂で園長である和尚さんから正座されられた。「反

省せよ」と。隣もお寺さんの幼稚園であるからして、敵の悪たれガキどもも仏像の前で正

座させられていたかも知れぬ。

これはプロローグ。

 

現代医学で正座が五感を研ぎ澄ます効果があることが証明された。これも武士は体験的

のつかんでいた。

頚椎の上部にあり肩甲骨とつながり、頭蓋骨を支え、五感をつかさどる視床下部<しし

ょうかぶ>につながっているのが肩甲挙筋<けんこうきょきん>。古流武術でよく云う裏

筋、深層部にある筋肉(インナーマッスル)である。

正座は、この肩甲挙筋を締める静的トレーニングである。肩甲挙筋を締めることで視床

下部が活発化にする。視床下部が正常でないと五感が鈍る。武士は生き残る術として五感

を大事にした。

 

ただ膝を折って正座すればよいのではない。正しい正座でないと効果はない。禅寺の座

禅の會で、僧侶が後ろを歩きながら、警策<きょうさく>で肩を叩くのを見たことがあろ

う。あれは肩が下がっているからだ。正しい正座は肩が吊り上がっている。無理に上げる

のではない。胸を開けば自然に肩が吊り上がり肩甲挙筋が締まる。

肩が吊り上がることで肩甲挙筋を鍛えられる。武士は重い甲冑に身を包み、いかに迅速

に動けるかを体験的に学んだ。脳でなく肚で考えた。それが呼吸、胸骨、肩甲挙筋の相関

関係だった。日本の武術のルーツである。

 サムライの子らは正座、正座と躾けされた。正座して呼吸を整えると身体の中心が肚で

あることが無意識ながら気づく。正座とは五感を研ぎ澄ますことだと子供ながら会得する。

 

 ところでいまの正座は、江戸の世では武士、その傍流にある者しかできない正座だった。

名主<なぬし>でない町人、郷士でない農民は、足親指を重ねるのでなく土踏まずを重

ね、手は股関節に指先を内側に向けて置くのでなく、指先は前に向け、腿の中ほどに。そ

う、非人、また、やくざ者は足首を重ね、手は膝頭に置き指は前に向ける。

 やってみなされ。武士は「ハイ」。町人、農民は「ヘイ」。やくざ者は「へぇ~」になる

のがよくわかる。

 

 常朝さんの父親が山本家の者は木劍を振っていればよいと云ったのは、素振りが肩甲挙

筋が鍛える動的トレーニングだと、これも体験的に知っていたからだろう。肩を吊り上げ

るからだ。いまでも剣道初心者に、拳を頭上に上げ、大きく振りかぶれと云うのはその残

照である。試合に勝つためには振り上げた拳は額あたりで止めるが。

 

 そう、剣道など縁のない御仁も、肩甲挙筋を鍛えるため木劍の一つも振ってみなされ。

しっかり地を踏んで下半身を安定させ、剣先を大きく天に突き刺し、手を絞って振り下ろ

す。その折は日本武道具さんから木劍を求められよ。

 そうそう、日本武道具さんに四、五人が座れるソファー(場)がある。木劍を求めにき

た御仁たちと、サムライとは何者であったかを語り会ってみたいものだ。武州多摩から遠

路、出向きますぞ。

                                                                  平成二十二年正月之二十七日