靖国刀
先の葉月(8月)、『達人(サムライ)主義』発刊のお知らせをさせていただいた。
その後、発刊(10月20日)の折には、日野 晃の世界を伝播した、この達人主義が云わんとすることを<ふかそう>としていたが、ご無沙汰してしまった。(『武道通信』掲示版10月20日付けに詳しい内容を掲載)
日野 晃さんからのメッセージを引用し、達人主義のメインテーマをお伝えしてこう。
《「達人主義」は机上の空論ではない。そして、「達人」は夢の架け橋を渡らなければならない存在ではない。まさしく自分の中にある「何か」がはじけた時、人は達人になるのだ。
そのプロセス、その構造、その有り様を具体的に記した唯一の一冊である。明日はあなた
が「達人」の仲間入りする可能性を誰も否定できない。そのキーワードは「本気」だ。》
「本気」に関して昨日来のニュースでひと言、余談とさせてもらえば、たびたび日本の領海侵犯している中国の原潜を「国籍不明」としか発表できない日本の政府は、国民を守る本気が欠如しているということだ。こと、防衛に関して政治的配慮などの姑息な言い分は止めてほしいものだ。北朝鮮の拉致に対する政治的手段は戦争である(兵頭二十八)――ぐらいの気概は
持つべきである。政府も納税者も。
きょう、駒込に用事があり山ノ手線に乗った。その帰り池袋で降り、久しぶりに日本武道具さんへお邪魔した。その折、「靖国刀」というものを初めて見、手にした。あるじの角田さんが白鞘から抜いて手渡してくれた。軍刀として打ったものとしては珍しく長く、刃渡り71センチ(2尺3寸5分)あるという。銘に「靖廣」とあり、昭和18年10月吉日とあった。
靖廣の靖国刀を手にしたとき「本気」という文字が過ぎった。
「本気」を履き違えると「狂気」に走る。この事例は古今東西、枚挙に暇がない。「本気」から「狂気」へ流れを防ぐ手立ては自分の躰(からだ)からの声ではないか。古流武術の初伝は自分の躰の声を聴くことから始まるのではないか。これは小輩が『達人主義』の編集にかかわり、学んだことだ。
平成十六年 霜月乃十一日