古(いにしえ)の武術身体操作の常識
勝海舟が題字を書き、榊原健吉が<あとがき>を書いた「武道圖解秘訣」
の項に、鹿島神道流と民谷流が紹介されている。
民谷流の中に「左剣」というものがある。刃を下に指し、つまり打刀なく太刀
の指し方である。立ち上がる際、相手の左肩へ切上げる。同時に左手で鞘を引き
抜き、相手の手を打ち込むというものである、と書かれてある。
しかし、鞘を引き抜いた左手は持ち替えないと鞘で相手の手を打てまい。
瞬時に逆手から順手に握り返すのだろうか。このほかの疑問点を数箇所をカメ
ラに収め、居合いの現代の達人に尋ねてみようと、先日の剣道稽古一の折、デジ
カメを持参した。途中、新春を告げる梅を撮り、掲示版に載せた。
古典の武術書を読み進めていく折、まず誤字、当て字が目立つのに驚くことは、
経験ある諸氏にはおわかりだろう。公文書でないゆえんであろうし、武人が一等
の知識人でないせいもろうが、現代の常識では計れないことが多々ある。
ひとつに、漢字を当てることにはいたって無頓着であった、と云える。
近藤 勇が故郷、多摩へ出した手紙は新選組がときに新選組になっている後世
の人間が、その書面のみを発見し、正しくは新選組だと云い張る、よくあることだ。
それに身体操作の常識である。確かに現代では当たり前のこと、皆、わかってい
ることを、いちいち記しておくことはない。体操の動作の説明するのに、足の屈伸
運動をして…… 大きく息を吸って……と書けば、誰もがラジオ体操、学校での体
操シーンを想像するだろう。それが時代の常識である。
百年前の武術書となれば、当時の武術に心得、興味を持っている人には常識で
あることはいちいち記さない。
宮本武蔵の『五輪書』の技術論である「水の巻」もそうである。
この動作はどこから繰り出されるだろうと……?であるが、それは常識であっ
て、いちいち記す必要はないのだろう。我らはどうしても現代(竹刀)剣道から、
それを推し量ってしまうから、またおかしくなる。
このオンライン本である「武道圖解秘訣」を2月下旬発売予定の『武道通信』
次巻で掲載する。
何某の武道、武術の初段レベルで方、年齢も“それなり”の方を想定した上で、
原文を活かし、時代の雰囲気を残したものにする。
原本は当然、漢字以外はカタカナであるが、カタカナの部分をひらがなにした。
一般的にどうにも推測できない旧漢字は現代漢字に、また似た表現に直した。
当て字、誤字は訂正はしかりで副詞、接続詞などはひらがなにした。それ以外は、
なるべく原文を活かした。これで大方、理解できるものになったと思うのである。
それに圖解秘訣とあるように図が多く添えてあるので文節にわかりにくいもの
があっても理解できる。
「原文を活かし、古文の雰囲気を残した」と云ったが、言い訳もある(笑)。
当時の武術修者の身体操作の常識をいまの常識で、良しと解釈しても間違う可能性
大である。この部分は読者諸氏の判断としていただくことにする。
一番、面白かった、現代の身体操作と違うのは、「キンタマ」の攻撃、防御である。
「右手は陰嚢(キンタマ)を囲いながらにして受けたる図なり」とか、男子の急所が
いかに<聖域>を教えられる。