近海領域の“有事”に発する『軍刀の操作及試斬』

 

武道具さんのあるじ、角田さんから靖国刀を観せていただいたことは以前、記した。

 銘に昭和18年10月吉日とあった。白鞘に収まっていたが当時は軍刀拵えで、名刀工「靖廣」の作であるからして持ち主も上級軍人が帯刀したであろう。

 大東亜戦争開戦前の日中戦争での白兵戦で軍刀を振るったとき、竹刀剣道がまったく役に立たなかったことに驚愕した。

「剣を学ぶ者、竹刀のみの修練を以て足れりとするときは、実戦に用を為さざる小手先の技術に堕し……」であった。

 この上記文は、昭和19年、陸軍戸山学校が編纂し刊行された『軍刀の操作及試斬』の序文の一節である。

 

 大東亜戦争開戦の1年前、日本帝国陸軍は日中戦争での白兵戦の経験から『軍刀の操作及試斬』を刊行した。竹刀剣道では真剣勝負には通用しないぞ、ということからだ。その翌年、帯刀する士官に向けに『軍刀の操作及試斬』が刊行された。

 

 とき昭和19年、南方戦線で苦戦がつづくとき、この2冊を合本にした陸軍戸山学校編の『軍刀の操作及試斬』が国防武道協会から刊行された。

 序文に「一般よりも之れが単行本として頒布を希望する者極めて多き為」とある。軍人でなく一般男子国民に向け発刊されたのだ。

 事実、本土決戦を予見した<銃後の守り>の中高年、青年もいたであろうが、当時の軍の緊迫感が推測できる。

 

 このうち3章の「試斬」を武道通信18巻で掲載したが、このたび全章をオンライン復刻本とした。

 対馬列島もわが国の領土と云い始めた隣国。対馬海峡はバルチック艦隊を撃沈し、400百年にわたる地球白人支配にクサビを打ち込んだ黄色人国の乾坤一擲の戦いに勝利した海域である。

 昨今のわが国の近海領域の“有事”に、日本国民、そのサムライの末裔に発信した次第である。 (HPオンライン読本に目次等が掲載されています)

 

  平成十七年 弥生之二十二日