「国民のための兵法」
武道通信HPの草莽杉山奮戦記に、軍学者の近刊『精解 五輪書――武蔵の戦闘マニュアル』の告知をしようかとしたのだが、年寄りの常で話がそれた。
では、宮本武蔵への憧憬が強かった故・大山倍達総裁とゆかりのある日本武道具さんの<けむり>でふかさせていただいた方がよろしかろうと思った次第。
『武道通信』九ノ巻の特集「宮本武蔵」で、愛弟子、松井章圭館長に「武蔵と大山倍達」を、当HPのあるじ、角田さんに「武蔵への憧憬 大山倍達の知られざる<文の世界>」を寄稿いただいている。
フルコンタクト空手、極真空手を創始した大山倍達が武蔵に自身を重ねたのは強くなるために己の流儀にこだわらぬ、武蔵に共通する合理性であったと松井章圭館長は語り、武蔵と大山倍達は共に、<時代遅れの夢>を持ち続けた若者であった、と角田さんは語った。大山倍達は軍人として武勲を立てる夢を抱いていた若者であったが敗戦で費えた。
軍学者も、この巻で武蔵論を寄せている。
「当時として西洋近代科学に最も近いところに居た専門技術者とみなすこともできる。<吉川版武蔵>とは別人である」
「いわば鉄砲時代の落伍者であった」と、同じく、この2点をこう考察している。
軍学者の武蔵論の極髄は、日本思想史に武蔵を位置づけていることだ。
日本史を朝廷の和歌文化と狩猟・戦闘者文化の対立の視点で見るならば、
事始めは狩猟・戦闘者系物部氏を仏教で矯正し以来、武家を儒教、禅で公家風に懐柔してきた中で、狩猟・戦闘者のエトスを捨て去ることなく、和歌文化に拮抗する戦闘マニュアル『五輪書』を書き残した武蔵は、日本思想史上の空前絶後の独立峰」と見る。
「しょせん朝廷和歌文化の手先でしかない小説家、文人には戦闘者のエトスを言語化した『五輪書』は理解できない」
ゆえに、いまだかって武蔵の『五輪書』を真に解義した者はいないと、軍学者は云いたいのだろう。
この九ノ巻の前田日明編集長対談で松岡正剛さんに武蔵を語っていただいている。松岡さんは誰もが認める現代日本の一級の文人である。松岡さんの武蔵論を上記の軍学者の言葉を念頭に対談を読んでいただきたい。
過去、小林秀雄などの一級の文人が武蔵論を書いている。これまた軍学者の武蔵論と読み比べていただきたいものだ。
弊社のオンライン読本にもなっている『ヤーボー丼』(1997刊の銀河出版
絶版)に『五輪書』の解義があるが、政治、経済戦争で平成の蒙古襲来を迎えた現代日本人の手引きとなる「国民のための兵法」を唯一無二、現代の軍学者に書いてほしい。
そんな編集士の思いから、軍学者が云う、この短く平易な<読まれざる名著>の、まるごと一冊解義を企画し、新紀元社さんへ刊行をお願いしたのだった。
この編集士の思惑は見事的中した。
「あとがき」で軍学者は語る。
「『五輪書』が戦前に正しく読解されていたら大東亜戦争はあのような敗戦はなかったであろう。いまの時代ほど武蔵の戦闘精神を必要としているときはない」
『精解 五輪書――武蔵の戦闘マニュアル』(新紀元社)
5月下旬刊 予価1800円。
*水之巻の刀剣術のモデルには田中光四郎さん、佐山聡さん、謎の鎖帷子剣士が友情出演。
平成十七年 皐月之五日 (端午の節句)