靖国神社にふさわしい大祭の日

 

 小泉総理の靖国参拝問題が相変わらず姦しい。今日、読んだネット新聞にこんな記事があった。

 

《森氏は、「首相として二度と戦争しないと英霊に誓うことは立派なことだと思う」と強調したうえで、「しかし、(参拝の)タイミングは政治状況や国際情勢を判断すべきだ。

いま目の前に、国連安保理の枠組み決議を出そうとしている。そういう時期だったら(参拝は)避ければいいのではないか」と述べた。》

 

 小輩、草莽奮戦記でも兵頭二十八軍学者の弁を借り、再三、述べているが、靖国は慰霊の場ではない、墓地ではないのだ。

 英霊の魂を招き、必勝祈願を祈る場である。ましてや「歴史の反省」「日本の懺悔」の場などでない。幕末から日清、日露、大東亜戦争と外敵と戦ってきた英霊に感謝し、

 「私もあなたたちのように勇敢に戦って、必ず勝利します」と誓う場で、《二度と戦争しないと英霊に誓う》場ではないのです、森前総理。

  

 敗戦後、靖国を慰霊の場にしてしまったのはこれら輩の政治家であった。

 GHQが廃止した遺族遠年金、退職軍人年金を復活させるため、戦争の犠牲者であるとのポーズをとった。それは止むをえないとしても、いつしか遺族会、元軍人の票田目当ての政治家の具にされ、8月15日と靖国はふかく結びついてしまった。

 

 先日、遺族会会長の古賀誠議員が遺族会の総意として「近隣諸国への配慮が必要」と発言した。遺族会は「会の正式見解ではない」と反発し、古賀も「発言は個人的な考え」と釈明したが、この両者の発言は大方の新聞は無視した。シナ、韓国、国内の反日を喜ばすだけのものとなった。

 

 古賀議員は己の票田のため遺族会会長に収まっていただけの輩であろうことが明らかになった。

 近年、「革新」派の偽善、反日の素顔があからさまになったことから、国民の中から「保守」派の波が高まってきたが、このような似非保守派議員をしっかり監視していかなければなるまい。

 同僚からの非難の的の小泉総理も初の総裁戦の折、打倒橋本のため遺族会の票欲しさに靖国参拝を公約したのであって元来、靖国など眼中になかった、いい加減な御仁である。

 

 遺族会が古賀議員のスタンドプレーを阻止できなかったのは高齢化のせいだろうか。

 今後もシナ、韓国ら反日勢力が靖国神社を「懺悔の場」として攻撃してくるだろう。靖国は遺族会だけが守るものではない。国民が守るものであることをしかと肝に銘じ、まともな保守派に国政を預からせた暁には、反省、懺悔から切り離すことからも「八月十五日参拝」を廃止し、ふさわしい大祭の日を定めよう。

 

 水無月之十五日