9・11衆議院選挙
武道通信掲示版に軍学者(兵頭二十八)の巻藁斬り体験、題して「百勘は一撃に如かず」
が載った。
動かない巻藁を斬ったからといって何だ! と云われればそれまであるが、竹刀剣道で
の競技、それと剣道型、そして居合の<三位一体>で現代人がかろうじてサムライの剣術
を想見できるのである。
剣道の高段審査に居合(巻藁斬り)も入れてほしいのだ。8月8日発売の『格闘技通信』の
「武道待望論」で骨法の堀辺先生と対談した折、そんな話をした覚えがある。まだ手元に届い
ていないので定かでないが。
旧盆の日本列島は衆議院選予想で侃々諤々(カンカンガクガク)である。
60年周期説を江戸幕府265年に当てはめ、国政を二分すると云う衆議院選を皮肉った?
一文を武道通信かわら版(8/10)を載せた。
http://blog.mag2.com/m/log/0000036568/106297819?page=1#106297819
アメリカが表記を強制するところの<太平洋戦争>に敗れた60年目は、奇しくも日露戦争
勝利から100年目。たった40年でこの国は2600年来、未曾有の敗戦を喫してしまった。
日露戦争もロシアの隣国・朝鮮侵略によるやむにやまれぬ自衛戦争であった。<太平洋戦争>
も同じであった。
日露戦争も負けるかもしれないがやるっきやないと覚悟した開戦であり、<太平洋戦争>も同
じであった。それはいい。だが戦争遂行のリアリズムは明治の軍人の方が長けていた。それは西
洋に学ばなければという当時の姿勢が、兵法のイロハ、「敵を知ること」に必死になったからだ。
第一次世界大戦ではろくに戦わずして勝利し、軍人もいつしか科挙制度に毒され、現場(戦闘
最前線)を知らぬ上層部が出来上がっていた。日露戦争の上層部は戊辰、西南、日清戦争を現場
で戦っていた。その違いが出た。
従来の旅順攻防戦や日本海戦戦史の過ちを指摘し、“司馬史観”の神話を打ち砕いた別宮暖朗
さんに著書によると、東郷平八郎は勝つことはわかっていた。バルチック艦隊の司令官ロジェス
トウェンスキーは負けることはわかっていた。どんな勝ち方をするか、どんな負け方をするかだ
ったと云う。連合艦隊は幸運で勝ったのではない。
(別宮暖朗さんの初の著書は『軍事史からみた南京事件の真実』。幣誌オンライン読本の第1
冊目であった。500円 PR)
いまHP「草莽・杉山奮戦記」に零戦のことを綴っている。この趣旨は読んでいただけるとわ
かるが、単に100年前と60年前の現場主義の差だけでない、日本の武士の誕生からくる<戦
闘思想>が西洋の<戦争思想>に敗れたのだと、舌たらずながら云いたいのある。
だからその敗因をしかと見定め、今度やるときは負けない、という反省とすれば良いのである。
9・11の衆議院選挙が、このサムライの反省でなく、もう一つの「過ちはおかしません」の
反省が主流だった60年間に楔を打つことを祈り、占領憲法に非を唱える御仁に1票を投じる。
平成十七年 葉月之十二日