武道家の「9・11」
武道家、武人は戦闘は避けられないとの前提でもの事を考える種族である。市井の人は安泰な日常と生活の糧を第一とする。
武士階級があった時代は、まあ生活の糧は保障されていたから上記の心構えを第一としておけば良かったが、現代のサムライは生活の糧でもあくせくしなくてはならぬのが辛いところだ。
国と国と間柄となると戦闘を戦争と云い換えられる。
戦争は避けられないものとし、その防衛に頭を悩まさなければならない。昨今、シナ政府は「中日戦争」の可能性を論じていると云う。“第二次日清戦争”である。
つまり、武道家、武人と自負する者、またそうありたりと願う者は、国政選挙の投票の際、その選択は年金より国防をまず先に大事と考えなくてはなるまい。
竹島、東シナの海の領域だけでない。太平洋側も同じである。アメリカとは軍事同盟国であるから軍事の防衛はないとしても、経済戦争での防衛は必至である。
9.11の国政選挙は、その選択肢にいろいろ悩むところであるが、まずをもって、この国が他国との戦争に負けないための国づくりを最優先に考えなくてはなるまい。
軍人、警察、そして銃後の守りの市井の民が心を一つにしなくては、どんな優れものミサイルを持とうが最期は負ける。
時代は変わった。グローバルな時代である。他国のスパイが入国するのも簡単であるし、潜入したスパイが情報戦略で国内の民を混乱させることもできる。その意図を見づけず結果的に善男善女がスパイに協力してしまうこともありうる。
郵政民営化、年金、老人社会、少子化、景気回復、靖国、拉致、シナ&韓国領海と様々な難問があぶり出されているが、他国から自国を守る事を優先し、消却法でもって誰に入れないか、誰れを入れるか、この暑さの中、熟考しなくてなるまい。
さきほど不在者投票してきた。前回、行った折が誰ひとりいなく、選挙管理員の皆が小輩の一筆々を注目しているようで面白かったが、まあ、なんとぞろぞろといつもの投票場と変わりがなかった。選挙の関心は並大抵ではない。
この中に何人、武道家、武人がいたかはどうかはわからない。
平成十七年 長月之九日