もうやめよう、太平洋戦争と呼ぶのは
「命もいらぬ名もいらぬ官位も金もいらぬ者は始末に困る人なり。誠に始末
に困る人ならねば国の大事はできぬものなり」――西郷隆盛の言葉である。
この維新の巨星、西郷を彷彿させる人物と冠せられるのが、明治、大正、昭
和の三代にわたり思想、政治運動に大きな足跡を残した頭山満である。大アジ
ア主義の言論界のリーダーでもあった。
「頭山満翁生誕百五十年祭」が今夕、明治記念館で行なわれる。発起人代表
の一人である明治神宮武道場「至誠館」稲葉館長のお誘いもあり出向く。
その模様は近日、武道通信HPでお知らせする。
同じ皮膚ではあるが支那、朝鮮と異なる民族という認識が高まる近年、この
大アジア主義が大東亜戦争の戦略に誤りを生じさせたと云われている。
それはそれとして、大東亜戦争の名称は、西洋列強からアジアを開放しよう
という大義からであった。
日本を悪者、戦争犯罪国にするためには、この黄色人差別、アジア解放を大
義とした大東亜戦争ではマズイので、進駐軍アメリカは太平洋戦争と言い換え
させた。
この大義の是非以前に、靖国に眠る戦闘者は寝耳に水であった。さぞ驚き怒
ったであろう。
「俺たちが戦った戦争は大東亜戦争だったんだ。ナヌ、太平洋戦争??……」
である。銃後の守りの非戦闘員も同じである。
この大義の是非以前に(と、もう一度云う)死者に対して非礼である。
「堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト
欲ス」との仰せからであろうか。しかし、もう堪忍袋の緒を断ち切っ
ても良いのではないか。
昭和16年から20年、日本国民は、女、子供まで、この大義のもとで戦っ
たのだ。教化書から博物館の掲示版、歴史書、メディアまで、全て大東亜戦争
に<改名>することを、マッカサー憲法改正の次に実現させなければなるまい。
国家で一番大事なものは一に国防、二に慰霊であるのだから。
平成十八年 如月之十七日