剣道から撃剣へ 武道復興への第一歩

 

 日本武道具さんの店頭ショーウインドーに日本刀が飾られている。

入口脇に竹刀、木刀類が並ぶ。その奥に空手、柔道着が。奥には『格闘技通信』のバックナンバーなど格闘技雑誌、ビデオ、武道書籍類がある。日本男児の必需品がここにはある。

 昨年の夏か、『格闘技通信』の「武道待望論」と題されたコーナーで骨法の先生と対談した。その頃から総合格闘技界で武道精神が云々されてきていた。結構なことである。

 総合格闘技への胎動を約した『格闘技通信』の創刊時、この異種格闘家による総合格闘技の頂点には武道精神がなければならぬと気づかされた。これが後年の『武道通信』の胎児となった。

 骨法の先生ら徒手格闘技の方々に、ここらで云っておくべきだと思い、武士の表芸、第一の技は剣道だと云うことで話した。手元にその掲載誌ないので詳しくは覚えていないが……。いや待てよ、校正原稿がどこかのファイルに残っているかも知れない。…………。在った。

《武士の表芸の剣道でいえば、型、試合に加え抜刀(居合)が入りますが、いま三つがまったくリンクされず別なものになって、あれは竹刀遊戯だ、あれは演舞でしかない、動かない巻藁を斬って何の意味があると非難合戦になっている(笑)。自説ですが、竹刀を木刀に変えればよい。剣道防具の美しさを残し、安全性を図った防具の考案が必要で、あくまで高段者からが条件ですが。また高段の昇段試験に抜刀、組討ち(柔術)も入れるべきで、この3つに合格して初めて剣道家であるとしたい。》

 武道論が盛んだが、武道とは武士の生きざま、戦闘者の戦いの理、作法であり、剣の道でもある。あなた方、徒手格闘技家は剣を持ったことが、剣の操作に興味を持ったことがありますか。でなければ百姓出目の格闘技愛好家の域を出ませんよ、という皮肉が込められていた(笑)。

 型は居合と訂正しておこう。抜刀、竹刀試合、この3点セットに加え組討(柔術)も入れはじめて剣道家であると云いたかったわけである。して総合格闘技家のその頂点に剣士がいなくてはならない。この文言はそう云いたかったのだ。

 

 “週イチ剣道”の爺も昨今、木刀から真剣(刃引き)にエスカレートしたが、真剣でもっての撃剣で、サムライとはナニモノであったが見えるのではないかと信じるのである。

 

 平成十八年 弥生之二十三日