サムライの「矜持」
「殺陣」を<さつじん>と読まず<たて>と読める大学生はどのくらいいるだろうか。現代における時代劇の位置が想像できると云うより、「剣劇」「剣戟」が<博物館>に入ってしまった感がする。
5月7日の週刊武道通信TVのゲストに、殺陣師から映画監督になられた高瀬将嗣さんをお招きした。親子二代の殺陣師でおられる。高瀬さんの経歴は下記サイトに。
http://www.takase-dojo.com/greeting.html
そう、スカパーアンテナが無くともチャンネル桜がインターネットで観られるようになった。http://bb.ch-sakura.jp/ で「武道」の項。
さて、映画、テレビの<チャンバラ>は竹光に銀紙を貼り本身に見せる。竹光を「たけひかり」と読まれてはこまるので、「たけみつ=竹を削って刀身とした刀」と書き添えておこう。
竹光使用は、まずは役者さんたちがケガをしないことにある。それに真剣や模擬刀では重い。現代人がチャンチャン・バラバラとはいかないからだ。
通常、日本刀の重さは1キロ強である。バーベルを持つのと違い、いかに早く振るかであるから、真剣の操作を覚えるには、まず強靭な手首、腕(かいな)を作らなければならない。偉そうに云わせてもらえば、真剣での撃剣試合を経験すると、殺陣の振り付けのうそぽっさが見えてくる。
いや、殺陣を侮辱するのではない。殺陣はその剣士がどのような剣を遣うか、どのような戦い方をするかを観客にみせるものである。
戦いの「義」の表現である。プロレス格闘劇と同じである。
どちらが生き残るか剣での殺し合いの剣法は、実際に経験するか見る以外、真似しようがない。各流派に型はあるが、身体と剣の基本操作である。実戦想定技は、各流派「秘伝」と称して隠した。人様の前で見せたら自分の死につながる。当然であるが、現代人にはこの時代の常識がなかなか実感できない。
そう、番組内で高瀬さんが殺陣には大きく分けて東映時代風殺陣と、黒澤明「用心棒」風の殺陣があると語った。テレビの「水戸黄門」の殺陣と、ひと昔前の「三匹の侍」の殺陣である。
前者が馬場プロレスで後者が猪木プロレスですねと小輩が云ったら、高瀬さん大きくうなずいておられた。
高瀬さんが自主制作した『矜持~KYOJI~』(加勢大周主演)を4月、府中市で観た。新選組、沖田総司が現代へタイムスリップした想定だ。沖田が現代日本を目の当たりし、我等が死を賭した意味は何であったろうかと愕然とする。己の命より大事な、守らなければならぬものがある――現代日本への痛烈なアンチテーゼだ。
http://www.mirai-group.net/movie/kyouji.html
高瀬さん、ゲストで来られた際、胸に拉致被害者支援のブルーリボンバッチをつけておられた。高瀬さんの矜持が見えた。「愛国」嫌いな日本映画界にあって、高瀬さんの奮戦は頼もしい。製作費、日数の壁の中、『矜持~KYOJI~』をどんな気持から製作したか、観ていただけらおわかりいただけるだろう。
5月27日、日本武道具さんの地元、池袋のシネマ・ロサで上映される。ご覧あれ。また、 6月7日、後楽園ホールへも撃剣を観に 来ませんか。
佐山聡さんのリアルジャパン旗揚げ1周年記念大会で、刃引き真剣による撃剣試合が3試合行なわれます。明治初年の榊原健吉の撃剣興行がどのようなスタイルで行なわれたか、詳しい資料が見つからずわからぬが、100年後に“タイムスリップ”したいま、防弾チョッキなどの防具の発達で、刃引きでの真剣勝負なら耐えられる防具製作が可能となった。
竹刀剣道では永遠にサムライの<矜持>をわからぬ。そんな思い
から撃剣試合をしてみようと<覚悟>したのであった。竹刀剣道へへのアンチテーゼである。
平成十八年 皐月之十一日