撃剣に挑む者こそサムライよ
撃剣試合の後日談は、武道通信の小生のブログやメールマガジンで綴ってきた。それは読んでいただいたものとして、撃剣の今後を綴る。
将来、撃剣試合の普及を考えるとき、まずもって防具の量産体制をつくることにある。個々で作ったなら負担が大きすぎるし、防具が統一されない。武道具メーカーかフェンシング防具メーカーが将来を見越し、試作に動いてくれるなら、安全かつ身動きが良く、剣道防具程度の値段のものができ、量産体制が可能になるのではないか。
次は剣、刀である。
史実のごとく、日本刀が合戦には不向きな武器であることを目の当たりにした。甲冑剣法の時代は落馬した折とか、予期せぬ接近戦で使ったが、主戦は弓、鑓であり、日本刀は別の要素(これが大きいのだが)があった。
武士を称える「街道一の弓取り」「槍一筋の主」とかの言葉どおり、武士の強さを象徴していたのは弓、鑓であった。
甲冑を脱いでの素肌剣法の折でも、複数での戦いには5、6本の剣を用意してあっただろう。武士の屋敷の内に砂場があるのは、敵が攻め入った際、予備の刀を何本か砂場に突き刺しておいたのだ。
映画『蝉しぐれ』で福が潜んだ欅屋敷での10対3の対決は、原作と異なり、主人公の文四郎は4、5本の刀を畳に刺しておいて敵を向えた。使いものにならなくなった刀は捨て、新しい刀を取りに戻った。
藤沢周平は日本刀が一対多の場合、1本では間に合わないことを知らなかった。剣道、居合、抜刀ともまったく縁がなかったろう。小説家はそれで良い。映画の黒土監督は誰かから助言があったのだろう。
刃引きといえ刃こぼれして、床に落ちるから危険だ。底が皮の武家足袋でなくてはならないし、終わった後、よく掃除機をかけておく必要がある。
いや、そんなことより、撃剣の稽古をしたならわかるが、撃剣試合に挑む剣士となれば練習の折は3、4本の刀を用意しておく必要がある。
目釘の取替えや刀が曲がる分には自分で直せるが、切羽がガタガタになったり、刃こぼれがひどい場合は、修理の日数が何日か必要で、予備の刀が数本、必要なわけだ。剣道で云えば1日数時間の稽古で1本の竹刀がダメになるのだ。
撃剣家は日本刀操作だけでなく、日本刀そのもの扱いの初歩が必須となる。
自分で刃こぼれを研ぐ砥石を持ち、初歩的な研ぐ技術はないといけない。わざわざ稽古用の刀まで研ぎ師に出してはいらえない。
伝家の宝刀の古刀、新刀、新々刀はもったいなくて使えない。現代刀工の居合刀となろう。居合刀でも昨今、30万円ほどはする。これを3本持つとしても大変である。
撃剣道場なるものができれば、剣士の稽古用の刀は道場側で保持し、修理の面倒も見る、この体制が必要であろう。
戦(いくさ)の主戦の武器ではなかった日本刀がなぜに連綿として武士の魂とあったのはなぜか? なぜに湾刀なのか? なぜ鎬があるのか? なぜ西洋の剣、支那と剣と違い両手持ちなにか?
地金、刃紋といった美術的なものでなく、武器たるものとして、これを知ることで武士とはナニモノであったかが見えてくる。
日本刀を眺めていても、巻き藁を斬るだけでも、居合で架空の敵を斬っていても、それはわからない。武士道論議は永遠に剣を持つことはない<市井の民>にまかせておけである。
武士たる表芸は剣術である。「スポーツ競技剣道でない撃剣に挑む者こそサムライよ」と、撃剣興隆に手を差し伸べてくれる篤志家が居てくれれば良いのだが。
平成十八年 水無月乃二十三日