煙管のけむり、復活
「煙管のけむり」の稿、いま煙管(きせる)をふかしながらキーボードを叩
いている。一服して、雁首をポンと煙草盆の灰吹き(灰皿)に叩く。すると、
ひと段落した気分で、気持ちを切り替えられる。さて、次は何から書き起こそ
うか……。
「煙管のけむり」のタイトルの旨は前口上で述べているので省く。なぜ、煙
管をふかしているかは草莽・杉山奮戦記で述べているから省く。煙管のウンチ
クを傾けてみよう。
ゆっくりと吸えと刻(きざみ)の箱に書いてあった。要は先日求めた煙管は
刻とセットの初心者用であった。専売公社が「美しい日本」再生のため煙管普
及を目指しているのかどうかはわからぬ。ともかく初心者用、安物煙管を片手
に傘張り浪人がウンチクを傾けてみようと云うものだ。
江戸時代のときの流れは、いまの世が時速100キロとすれば、せいぜい3
0キロ程度か。そんな感覚でゆっくり吸う。
ニコチンが鼻孔を刺激するのではない。して、まろやかな舌ざわり。なるほ
どこれが本来の煙草と云うものか。出会えた嬉しさが周囲半メートルに“漂う”。
刻は干した葉を重ね、包丁また鉋(かんな)で糸のように細かく切る。日本
人の器用さゆえの技だ。ゆえに世界のタバコの中でも加工度が最も低くなる。
それゆえ、タバコの葉本来の味が楽しめる。刻入れから刻をとり出すときは、
指先でひとつまみ取り出し、そのまま丸めて煙管につめる。こんな器用な手仕
事、パイプ族、葉巻族ではできまい。
何者か敵がいないともたない移民の国・アメリカが<世界の敵>と伝播した
効果と、敗戦後日本の長生き至上主義があいまって、タバコはいま悪者にされ
ている。
しかし、タバコ税も20歳以上~などと年齢制限もなかった江戸時代でも、
一時、タバコは悪者の最たるもので禁止令も出された。(慶長17年~元和
2年の5年間には5回の禁煙令が出た)。「火事の因(もと)」であったから
だ。市井の民家は木と紙であった。歩き煙草は江戸270年間も禁じられて
いた。
さて、タバコが日本に到来したのはいつ頃であろうか。これにも諸説ある。
まあ、たいしたことではないので、タイムマシーンに乗ることもなかろう(笑)。
「キセル」の語源はカンボジア語の「管」の「クセル」が訛ったと云うのは確
からしい。戦国時代の城跡から全て銅製の煙管も見つかっていることから、鉄
砲伝来とほぼときを同じにするのではなかろうか。
小学校のとき通った私塾の先生のお母さんが、いつも長火鉢の前で煙管を吸
っていた。花柳界出とか、おめかけさんだったとか云う、近所の大人たちの話、
噂などは、ちゃんと子どもらの耳にも入っていた。もう時効であるからよいで
あろう(笑)。20歳のとき、はじめて煙管を吸ったとき、裏店(うらだな)
で、いつも煙管を吸っていた、このおばさんを思い出した。
40年後、また吸ってみたのだが、コカ・コーラを旨いと思っていたアメリ
カナイズされた20歳の若造には、この煙管の精緻な静かで深みのある味はわ
からなかったろう。還暦を迎え、日本至上主義者となったいま、やっとわかっ
た(笑)。
日本武道具の主(あるじ)にも勧めてみよう。うん、角田さん、タバコはい
っさいやらなかったか……。
平成十九年 卯月之二十四日