天心流合気剣法 Tenshinryu Aiki-Kenpo

天心流のつぶやきから(このページ下) 天心流合気剣法DVD発売中 天心流合気剣法公式HP 稽古予定など掲載
     

精神と物質といっても 心と肉体のことなんだけれど

物質的な闘争はなくなっても精神的な戦いはなくならない

と歴史学者のトィンビーは言っているように 人の精神は勝負事を好むから前頭葉の抑止力によって

戦争のない今代償的行為としてのスポーツなんかでうさを晴らしているのだろうか

社会生活や人間関係のストレスから頭を守るための手段の一つとして酒を必要としているかも知れない

酒と女に歌と踊りで脳を酔わせるほかにも心のうさを晴らすもう一つの方法もある

身体運動のリズミカルな機械的刺激によって脳の新皮質を酔わせることで意識の水準が低下してきて

心のうさ晴らすことができるのである

病は気からというだろう気晴らしがないと人間おかしくなる

社会生活のフラストレーションを遊びでうつつを抜かしていても行為に創造の喜びを感じることができなければ

どうしてもお金で飲んだり踊ったり賭け事したりしてうっぷんを晴らすほかないのである

日常行為の木剣の素振りも統一状態には四十秒ほどかかるが脳は酔うどころか頭は澄み切ってしまうから朦朧状態にはなれない

夢といえば随分まえに夢酔独言を読んだ事がある

勝海舟のお父さんで勝小吉という人の書いた本で大変な人だよ

幕末の剣聖といわれて江戸の三大道場の三人が手も出なかった直心影流の男谷清十郎をあしらった程の腕前だったという

こんな父親から幕末の日本を救った勝海舟という男が生まれるんだと思って忘れなかった

四十九年を夢のように生きた男だ

2019 4 20 天心

 

花鳥風月  蘇東坡の花は紅 柳は緑というより 花と言えば桜より梅 

鳥といえばウグイスよりメジロだ

二月に咲いた梅の花の蜜を花びらを散らさないように メジロが上品に吸って飛び回っていたのも束の間

サクラの三月も昨日で終わってしまった

その最終日の稽古に色のない男所帯の天心会にとうとう 紅一点が登場 

四国の香川県から来たという

ちょっと前から瀬戸内海や四国地方の方に興味を

持っていたのも居合の老師が二十代の若い頃 戦争が終わって復員したあと

郷里の北海道北見から 四国の土佐に居合の武者修行に行っていた所でもあったからだ

そう言えばバガボンドのおじいさんも高知県の室戸に いたんじゃないか 

何かの縁でもあるのかな

桃の花があまりにも目に鮮やかに映るから大伴家持が歌った

桃の花 紅色に にほいたる 

から思い立って 調べると日本の国旗の赤丸が紅色と定められているじゃないか

日本の伝統色だ 紅花の趣があったから綽名はくれない 

末摘花 八百の合気上げより筋がいい

天心真里谷流の女流剣士の印可の第一の塾生となるかもしれない        

2019 4 1 天心

この時師は60代、佐川老師80代
天心は30代で、二人の師について
修行に励んでいたわけです
剣をもって摩利支天を拝し、天なく地なし、
心何処にも住する所なく、自然にして
万変に応ず、すべからく私心を捨て、
不惜身命の心をもって修行すべし。
道は近きにあり、心境明らかなれば、
一朝豁然として天心を知るべし
                2014 9 25 天心

『佐川老師の夢をみて』

天心流の由来を物語ると 居合刀法は泰山流河西老師から
柔術は大東流合気武術佐川老師の 教えによって導かれ生まれ出たものです
柳生新陰流21代宗家柳生延春先生はじめ 土佐英信流20代宗家竹嶋壽雄先生
大東流合気柔術六方会岡本正剛先生 などの縁もあったのですが
抜刀術に止まっていた業に示唆を 与えてくれたのはやはり
甲源一刀流佐川老師の合気剣と 即行空によってでした
何故なら 居合をはじめた頃泰山老師から
若いとき即行空という技に見事に 破れた話を聞かされていて老師を
破ったと言う合気というものを 知りたくてまだなにも知らないまま
どうしても合気というものを手に入れる ために佐川老師のもとを訪ねた
話は以前したね
そして暑い夏の昼下がり佐川老師を訪れた 道場にはまだ誰も居ないなかで
坐取りで老師から 合気というものを初めて体験 させられたんだ
したではなくさせられたに注意 主体がなくなって客体になってしまっている
老師が生きているとき合気をかけられたのは この一回かぎりだよ
居合をやっていたので 佐川老師は剣は教えないという
でもこれで十分 合気という鮮烈な感覚は 忘れることがなかったから
それを頼りにやっていったんだ 居合 剣 合気と 老師二人とも北海道北見の出身で
父上たちも会津の小天狗といわれた 武田惣角先生の弟子でもあり 東京に出た植芝盛平先生や
堀川幸道先生の弟子として末席に いた岡本正剛先生の時代に 河西老師のご子息も堀川先生の
道場に通っていたりと のちに武田先生亡きあと 堀川先生も佐川老師に師事したり
河西老師もまた中国大陸の上海に渡る前 当時東京中野の佐川老師を訪れ
3本立合った際即行空によって 見事に敗れ去っています
会津 武田惣角 合気 北海道と 何かの縁を感じるな

佐川老師の夢をみて
             2012  8 16   虚舟

 

謝礼について


感謝報恩の心の現われが、謝礼(月謝)となり、
之が定額化して唯物的傾向が指導料、講習料的
考えになり、指導を買う、免許、允可、段位等の
資格を買うという考え方となり、その結果
心の観念が薄れ、技術的な事は理解出来ても
道の心を理解会得し難い時代になっている
                   1979   泰山

 

天心余禄

1979年昭和54年7月から書き始めた泰山語録
現代の日本人が忘れてしまっている
大切なことを数多く書き残しているので
新しい人も参加し始めたこともあり
日本の文化を知る上でも貴重な資料を
紹介していこうと思います